熊野街道散歩F  和泉砂川山中渓


古街道もいよいよ大阪府最後の山場を迎えました。
人は何処から来て・・何処へ去るのか、信仰心から小船に乗り込み遥か彼方の補陀洛へ旅立った僧が居たり、樹齢700年の楠が鎮座していたり、熊野街道随一の難所が在ったり、・・・やはり大詰めでした。06/10/15 ルート
熊野街道散歩は 且Rと渓谷社 歩く旅シリーズ 熊野古道を歩くISBN4-635-60033-5 並びに 旧陽書房  熊野古道ガイドブック 熊野への道ISBN4-906108-37-7 を参考に訪問しました。






街道の佇まい。
和泉砂川駅を南下してしばらくすると街道脇に松ノ木がある古い民家があった。
かつての街道脇にはこんな佇まいの家が多くあったことだろう。
信達一ノ瀬王子址
この王子址は高札が無いので解りずらい。
が かつての雰囲気が現在に残る数少ない王子址だろう。
ブロック塀の中に馬頭観音や地蔵等が祀られていた。
祀られている馬頭観音。

ブロック塀で囲まれた王子址
林昌寺への道標

一ノ瀬王子址正面の街道脇には二つの道標があった。
一つは明治期に建てられたもので、もう一つの小さな道標は古いものらしく角が磨滅している。
サンゴ池に沿って進む古道路傍に咲く桃色の花が美しい。
躑躅山 林昌寺
林昌寺(りんしょうじ)は大阪府泉南市にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は躑躅山。岡大師とも呼ばれる。
聖武天皇の勅願寺として行基により天平年間(729年-748年)に開創された。現在の山号と寺号は堀河天皇の勅号である。
織田信長の根来寺攻めによる兵火を受け全山焼失したが、堂宇は江戸時代に再建された。境内には躑躅の名所として知られる山の斜面に造られた庭園のほか、仏足石や補陀洛渡海碑など貴重な文化遺産を有している
補陀洛渡海碑


補陀洛渡海とは何か?どの様な心境でもって行われるのかは現在に生きる私には理解しがたい事ではあるが、この板碑は何も語らず、静かにたたずんている。

塙団右衛門の墓所を訪ねた時にも感じたが、己の命より大事な 何か が存在していた時代(名こそ惜しけれでしょうか?)が有った事は確かなようだ。

補陀洛渡海碑は山門から本堂の方向に向いていた・・
渡海する浜辺も見つめるのか・・・・・己が育った故郷を見つめるのか・・・・それを知る手懸りは何一つ今に残されていない。
己が命と引き換えに何を得たのか・・・
林昌寺は躑躅山の名の由来の通り躑躅の庭園が美しい、花の季節に再訪を果たし躑躅を眺めよう思う。
古い寺らしく参道には岩に刻まれた仏が沢山祀られていた、作られてから長い年月が経った仏達は土に還ろうとしています。
渡海碑 遥か遠方を眺めて居るようです。
林昌寺から海を望む。遥か彼方に泉南の海が輝く
信達岡中の家並み
林昌寺前の道は古街道の趣が残る。
街道から愛宕山を望む
街道の面影が残る家並みから愛宕山方面(林昌寺)を望む。
街道脇の道標
街道沿いに石造の古い道標が残る。
長岡王子
長岡王子址は林昌寺付近とも岡中の楠がある社付近とも云う。

大阪府の天然記念物に指定されている 岡中の楠 が目印となる。
波太神社遙拝鳥居
熊野詣など、街道を経て他国へ参拝する人々が多くなった時代、遠方から波太神社を伏拝する風習が生まれた。波太神社伏拝の鳥居は、当時の波太神社の権威を示すものとして、今もJR和泉鳥取駅裏にその形を残している。
阪南市のホームページより引用。
琵琶ヶ岸懸(びわがけ)
平安中期から鎌倉期にかけて熊野詣が盛んだったころ、琵琶法師もまた旅の一人として浪速から山中越街道にやってきました。
途中、雨山(現在の松風荘)山麓にさしかった険阻な桟道で突風にあおられた琵琶法師は、真っ逆さまに断崖から転落してしまいました。
彼の背にかけていた琵琶は、途中崖の木にひっかかり、琵琶の揺れに合わせていつも川の流れが法師の死を弔うかのように、「コロンコロン」と悲しげな琵琶に似たような音をしていると伝えられることから、この場所をこう呼ぶようになったそうです。
しかし、今は廃道となり昔の面影はありません。 阪南市のホームページより引用。

案内板
和泉鳥取を過ぎて山中橋北側を左(東)に折れると手製の案内板が設置してある。
廃道
古道はこの区間に付いては廃道となっている。しかし訪れる人が多いのか、雑草が踏み締められていた。
琵琶ヶ岸懸(高札)
古道を進と云われを記した高札がある。足元が悪いので注意するようにとの一文が見受けられる。
いやはや琵琶ヶ岸懸(びわがけ  です、水面まで20−30mはあるだろう。山の屈曲部の斜面に道を通したようで、雨が降ると滝に近い沢になるだろう。このページを参考に訪問される方があるならば、落ちると良くて大怪我・悪いと死亡が想定されるので、十分注意されたし。
道幅は大変狭く50cm程度でしょうか。写真では伝わりにくいので 赤線 で示す。古道随一の難所であったとの事、さもありなん である。
地蔵王子址
デンジャラスな場所を過ぎると、地蔵堂王子址に行き当たります。
王子の云われ等を記す高札がある。
王子址は児童公園になっていて、近所の子供達がブランコ競争に興じていた。
馬目王子址
馬目王子はかつては足神さんと呼ばれていた、今でもわらじが奉納されている。

「かつての先輩方の訪問記を拝見するに、看板の存在は記されているが、訪問時06/10/15には 碑らしき石(刻まれた文言は無いようだ)と わらじが杭に結わえて有った。これは近年の熊野街道ブームで訪れる人が増えた事と縁があるのでしょうか?
山中宿

熊野街道もこのあたりになると江戸期に整備された紀州街道の面影が多く残る。

山中宿付近は石畳が整備されいい雰囲気になっています。
山中宿本陣跡
紀州公の参勤交代時に使用する旅宿、本陣があった場所。広大な庭の老木、正門前の幅広い溝などが残っている。
山中渓集落の南入口に平石を屋根にした道祖神が祭られている。これは、街道を往来する人々の安全祈願と、集落(村)内に他所から病気や災いが入ってこないように願って建てられたものと考えられる。阪南市のホームページより引用。
道祖神は長い年月の経過で磨滅が目立つ。数百年この村を見つめた祖神である。


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