高 野 街 道 (丹生都比売神社〜奥之院その@)


 前回の訪問とはうって変わって涼しい日となった9/27日始発電車に乗り込んで丹生都比売神社へと向かいます。ルート
08/9/27      




5時20分発の電車に乗るため、自転車で駅へと向かった、駅へ着いたらまだ夜明け前で、月が出ていた。 南海高野線で橋本へ向かい、橋本でJRに乗り換える、JR笠田駅に7時頃到着した後、かつらぎ町のコミュニティーバスに乗って丹生都比売神社へと向かう。
丹生都比売神社では旅の安全を願い二礼二拍手一礼にて祈願の後、神社が鎮座する天野の里に点在する旧跡を訪れた。 神社の前の田んぼでは早くも稲刈りも済んでいました。
西行妻娘宝筺印塔:出家した西行の妻娘を供養する宝筺印塔、かなり古い物で右二基が1372年・左二基が1449年の物であるそうで和歌山県の文化財指定を受けていた。 西行堂: 西行妻娘が住まいとした庵を平安時代末期より西行堂として再建を繰り返している。
西行との再開を願った妻娘は天野の地に移り住み生涯を閉じたとの事。
西行堂の横には佐藤商店と言う酒屋さんが在りました、なんだか縁を感じてしまいますね。 横笛の恋塚:平家の名門武士・斉藤時頼と恋に落ちた雑士横笛が、後高野山へ入山した「滝口入道」をしたいここに庵を結んで住んでいたが、19歳ではかなくなったとか。
横笛の恋塚の前には横笛の魂を慰めるかのように、コスモスの花が咲いていた。 横笛は恋する人を想って天野の空を眺めていたのでしょうか?出家はしたけれども募る思いを断ち切ることが出来ずに、逢えない人を想い、一人鏡を眺めていたのかも知れませんね。
手製の看板にしたがって、院の墓を過ぎると舗装された坂道に出る。
それを登っていくとやがて舗装が途切れて地道になる、勾配がましてきつい坂道となってきます。
息せききって坂の途中、ふと振り返ると天野の風景が眼下に広がる。
丹生都比売神社は辰砂を採掘し朱を作る技術を持った一族の祭神だそうですね、坂の途中、辰砂色(しんしゃいろ)の土がありました。
天野は赤土の大地のような場所で、ほの暗い坂道の中で「はっと」するような鮮やかな朱色(辰砂色)が出てきます。
丹生都比売神社から二つ鳥居までの坂を八町坂と言うそうですね・・勾配はきついけど距離があまり無いので、前回の古峠からの下りより疲れませんでした。
八町坂を登りきると二つ鳥居に至る、そこからはなだらかな道となり割合とのんびり歩ける。 途中ゴルフ場のカート道とおぼしき道を歩き、子安地蔵尊を過ぎると神田ののどかな田園風景が広がる、ちょうど稲刈りの時期で農家の人が忙しげに立ち働いていた。
ゴルフ場の真横を町石道は通過する、道の端にボールが落ちていた、ゴルファーがきょろきょろと探していた、OBだよーん!とか言いそうになりましたけど、黙っときました。 矢立に至り、道は国道へ出会う、涼しくなったこの日車の通行量も多くて、注意しながら道路を渡る。
茶屋の横手から町石道へ入りまた、静かな道を歩く。
袈裟掛石:弘法大師が袈裟を掛けられた石、この石から先は高野山の清浄結界となる。この石の下をくぐると長生きすると伝わるそうですが、僕には無理でした。 見上げると木の葉の間から緑色の日が射していました。
押上石:弘法大師の母が結界を超え入山されようとした時激しい雷雨から火の雨となった。
弘法大師がこの大岩を押し上げ母をかくまったといわれる。掲示板
平成10年に転落していた物が発見された創建当時の町石、梵字が力強いですね。
矢立からしばらく歩くと国道と並走する形で町石道は進む、静寂が破られて時折車の排気音が響き渡る。
ただ道は整備され看板や休憩所などが用意されていた。
四里石:だんだんと大門に近づいてきました、道は割合平坦で高度もある事から肌寒くなってきました。
杉木立の中を快適に進む町石道、この辺りまで来ると時々人とすれ違います。計10名くらいと挨拶しました。 渓流沿いの快適な道、せせらぎの音を聞きながら歩を進める大門へ至る最後の坂を前に一服です。
気持ちのいい場所で、ぼけっとしていると、子供の頃・亡父が歳をとった自分の二親を連れて高野山へドライブに来ていた頃(35年程前か)の記憶がよみがえります。
遠くで鳥の囀りが聞こえてきました・・芭蕉の句で「父母のしきりにこひし雉子の声」 と言うのがありましたね。
振り返ると重々たる山並みが見える、気温は15度くらいでしょうか?止まると寒いです。 大門への最後の急坂、九十九折できつい坂でした、汗が滴って帽子が濡れてきました。
倒木にびっしりコケが生えていて次の世代がその躯体に根を下ろしています、輪廻転生でしょう。 10町石:大門が7町なのであと3町です、ああしんどー状態でしたね・・
いよいよ大門です・・感動しました。観光バスの乗客が大勢山内へ入っていきます。仁王が僕を迎えてくれました。
柱聯(ちゅうれん):検知處々之遺跡  後宇多上皇の筆によるものだそうです。 大門から山内を望む、山上にぽかんと空間が広がっていて、そこに夢のように町が広がっています。
山上は平地よりかなり気温が低くて薄いジャンバーを羽織りました。寺院の楓は少し色付いていました。 壇上伽藍の少し手前の道沿いに町石の一町石がありましたが、目立ちません見落としてしまいました。いよいよ根本大塔へあと一歩です。
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