高 野 街 道(橋本〜上古沢)

高 野 山 町 石 道


台風一過の08/9/20涼しくなるだろう想定して高野山町石道を歩きました。ところが暑いわ・・途中エスケープした上古沢駅への道は急勾配の上に滑るわ、高低差キツイワでくたくたな一日でした。世界遺産だからといっても山歩きに変わりはありませんので、水と食料持参は山歩きの鉄則でした。 いや・やれやれの一日でした。23.7km ルート
08/9/20




橋本駅:おなじみ橋本駅です、秋のお祭りに向けて沢山の提灯が飾られていました。 船壇尻:町にはだんじりのポスターが沢山張り出されていました、地域の人達の力が入っていますね。
太神社: 紀伊之国名所図会にもある一里松のある場所には太神社がある、社殿の下には松の切り株が残っているそうです。
ここで散歩をするおじさんと世間話をしました、橋本では再開発が進んでいてこの神社も移すそうで古い町家も無くなるそうです。
おじさんはしきりに「残念ですけど」と話していました。
大阪では住まいのミージアムに古い町家を大金を掛けて再現して見物客を集めて居るのに、こんな近くの町では本物の江戸期の町家が残される事も無く廃棄される・・何かいい方法は無いのでしょうか?
橋本の建物: 橋本は河川段丘上に発達した町なので、傾斜地に二階・三階建ての町家が多くあったそうです。

こうゆうアジア的混沌としたラビリンスのような町が再開発されて綺麗になるのは一面いいことなのでしょう・・しかし・・懐かしい慨視感を伴う景観がもう二度と見れなくなる事には一抹の寂しさを感じます。
応其寺: 橋本の町を発展させた木喰応其上人ゆかりの寺。 寺の周りには路地が発達して懐かしい心象風景となっている。
橋本橋:橋本橋を渡って対岸へでる。 台風一過の雲間から日差しが一条、山には霞がたなびき美しい風景。
三軒茶屋の大常夜燈籠:高野街道は京都・大坂・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。その後、御幸辻から南下して谷内川(橋本川)河口付近から紀の川を渡って当地に至り、学文路から高野山へ登っていく道がひらかれた。
中略・・この紀の川南岸渡場に建つのがこの大常夜燈籠で、後に北岸にも同様のものが建ち、この間で長く「無銭横渡」が行われた。
掲示板より。橋本市教育委員会

清水の町並みと路傍の花。
六地蔵(第一):江戸時代の後半、高野参詣の旅人の安全を祈念して、
橋本市清水から高野町桜茶屋までの間に、六体の地蔵菩薩像が建立されたといわれる。記録もなく、現存する仏像の銘文も判読困難で、確証はないが、長い間にわたって高野街道六地蔵の第一地蔵として人々から大切にまつられてきました。
 ここは最初の地蔵が建立された場所といわれ、西行法師の旧跡とも伝えられる。
堂内には現在、木造地蔵菩薩像が安置されています。
掲示板・橋本市教育委員会)
清水の家並:かつては高野への宿場として栄えたそうです。今でも趣のいい家が沢山ありました。
三里石:茱萸木の住人 小左衛門 と 五兵衛 の三里石、普通の民家の玄関先に在りました。 学文路のお大師さんと地蔵尊: その民家の向かいに学文路大師と地蔵様があります。
学文路三叉路道標:明治中期からはここから学文路を経て山上に上る道が使われたようです。 学文路駅:ここの入場券は入学守りとして人気がある。ちなみに九度山のローソンを最後にコンビ二は山上までありません。08/9/20現在、町石道を歩く場合は水場が無くて困りましたので、この辺りで確保を勧めます。
真田庵真田親子が幽閉されていた場所とされる場所にある真田庵、静かな住宅街の只中に在りました。 神南辺千度石:百度石ならぬ千度石、おなじみ神南辺の発起で立てたようです。
六文銭:木製の門には六文銭の家紋がありました。 慈尊院へは小さな橋を渡る。
慈尊院 空海の母の廟所に創建された寺、女人にご利益がある寺とされる。 慈尊院多宝塔:境内には多宝塔があった、痛みが目立ち修復の布施を募集していた。
高野山曼荼羅:慈尊院から奥の院までの曼荼羅が説明されていた。 慈尊院本堂:女人にご利益がある寺だけに、乳型の絵馬が沢山あった、安産祈願や子授け祈願が多いようでした。
丹生官省符神社への石段いよいよ町石道の始まりです。 180町石:階段脇の西側に180町石が佇んでいた。
丹生官省府神社玉砂利を踏む己が足音だけが響く。 丹生だけに茜の色も映える社殿。
広域農道脇:ここいら辺りから雰囲気が出てきます。 柿畑の中を高度を稼いで登ります。暑いので少しバテ気味です。
展望台からの風景柿畑の中に展望台が設えてありました、ちょっといっぷくです、腹が減ったので弁当を喰っちゃいました、持参の麦茶を全部飲んで・・・麦茶消費がこの後つらい事になるとは・・この時はまだわかっていなかった。
柿の木畑:急勾配の柿畑の中を高度を稼ぎます。 地道の始まり:やがて舗装が切れて地道となる。
この日は台風一過で涼しくなるはずが・・・最高気温30度近くて暑いの暑くないの・・汗がすごい事になってきました、一休みしていると小さなアブでしょうか?時計に溜まった汗の塩分が欲しいのか、ひつこく留まっていました。 路傍の彼岸花と和泉葛城山脈が美しい風景を見せてくれました。
お大師さん:町石道はすごく理にかなった造りで、疲れて来る辺りに町石があったり、一服したくなる場所に弘法さんが居たりして、はげます仕組みになっています。 町石には蔦が絡んで、いい味出してますね。
杉木立を進む:150町石辺りから、二つ鳥居辺りまでは、道は割合平坦な道となっています。写真は杉木立の中の一里石。 六本杉峠 ここから丹生都比売神社への下り道が分岐している。ここで一服しましたがここまで全く水場が無くて喉がからからです。水を持ってこなかった事にかなり後悔してしましました。
木漏れ日が綺麗な町石道:大杉峠を過ぎて木漏れ日が美しい町石道をテクテク進む。ああ喉が乾いた・・・・ 苔むした町石と木漏れ日。木漏れ日が町石にコントラストを造り美しい。
上古沢駅への分岐「古峠」: 上古沢駅へのエスケープ道の分岐点、町石道を通しで歩くには健脚が必要なので、二回に分けて歩く場合ここから上古沢駅へ降りるか、丹生都比売神社方面へ降りてかつらぎ町のコミュニィティーバスに乗って笠田駅に向かう二つが選択できる。
僕は巡礼列車が好きなので上古沢駅へと降りるつもりですが、二つ鳥居まで見学する予定なのでこのまま通過して引き返す形をとりました。
展望台から天野の風景 古峠から10分ほど歩くと天野の里を見下ろせる展望台へでる。
なんだか日本の原風景を見るようです。
二ツ鳥居:説明版です。それにしても喉が渇いた・・ここまで一切水場が無くて困った事になってきた、ふくらはぎや大腿筋がピクピクしてきたので少しあせって来ました。 二ツ鳥居 並列の鳥居は初めて見ました、ここからの景色は美しいですよ。ここから引き返して古峠から上古沢駅へ向かう。
駅への急な下り:駅へ向かう山道はほんとに急勾配で足が笑いました・ははははーてか。 道の真ん中には得体の知れないキノコがわんさか出ていました。
きつい勾配でストックを使っていましたが、足が持たずに二回ほど転んでしまいました。
上古沢駅への道:半時間ほど歩いてやっとこ舗装路へ出ました、彼岸花が綺麗ですが、脱水状態があって意識があやふやでした。
とにかく水の確保は町石道を歩く場合の必須条件ですね。
はるか高野山を眺めながら道を下ります。
このあと国道へ出てからまたキツイ勾配を上って上古沢駅へ至ります、これは止めになりました、次回この道を再度登って古峠へ出る事が苦痛となる事が必至と判断しましたので、次回は笠田駅から、かつらぎ町のコミュニィティーバスに乗って丹生都比売神社に向かいそこから古峠への道をとる事にしました。
上古沢駅に着くと電車が来ていて、駅員さんの「これを逃すとあと一時間電車が無いですよー」の声に全力疾走して飛び乗りました・・後から後から汗が噴出して喉はからから水は無し、脱水状態が進んで半分目が回って足と腕の筋肉が軽く痙攣し始めてしまいました。
座席の向かいには外人さんのバックパッカーのカップルがいて珍しそうに僕をいつまでも見ていて、ちょっと恥ずかしい思いをしました。結局・橋本駅の乗り換えまで、水分補給が出来ずじまいでしたが、駅で飲んだ自販機のスポーツドリンクは美味かったなぁーいっきに三本も飲んじゃいました。

今回の教訓・・世界遺産をなめてはいけません、水と食料持参は山歩きの鉄則です。
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