熊野街道散歩 中辺路 小雲取越

前日大雲越でヘロヘロになった足に鞭を入れて、小雲越へ挑んだ。
大雲越に比べると楽ではあったが、小和瀬橋から桜茶屋跡までが一気に400メーター級へ高度を上げる道で前日の疲労が残る足にはキツイ道となった。

踏破時間は4時間少々なので早朝立ちであれば半日で終わる、僕も昼には請川に下りて本宮参拝を済ませた後に、11月〜2月まで実施される川湯温泉の仙人風呂へ浸かりに行きました、気持ちが良かったです。  ルート    08/12/13






 
前夜民宿百福でもらったみかんはでかくて、八朔くらいの大きさがあります、峠の上ででも食べようと、リックサックの中入れて行きました。 小口宿泊記念スタンプが置いてありましたので、押してきました。
タイム↓
出立
7:20
小口は朝、川霧が湧いて辺りは乳白色の中に佇んでいました、この霧の中、朝食を済ませて、7:20に出立しました。 小和瀬橋:かつてはここに渡し場があり対岸へ渡っていたそうですね、橋の袂にかつての渡し賃を書いた掲示板がありました。 渡し場跡
7:35
登り始め
7:42
橋を渡って民家の間を進むとかつて家があったであろう石垣と階段が残る。
今では杉が植林されかつての面影は薄らいでいますが、かなりの家が建っていたのでしょう、古道は霧に包まれたかつての家々の間を進んでいる。
霧に包まれモノトーンに沈んだ道に時々はっとする鮮やかな色が飛び込んできます。
鮮やかな黄色を後に静々と進む。
尾切地蔵
7:50
かつての村の境界と思われる場所に尾切地蔵が祀られている。
この辺りからキツイ勾配の登り坂となる。
太陽が山の稜線を越えて上がってきました。
日が射してきたのですが、霧が深くて周りはほの暗く、霧の粒子が体にまとわり付いてきます。
きつい登り
8:10
霧越しに冬の青空が覗いています、遅い紅葉と羊歯の青さが空色に映える。
かつての基幹道路らしく道普請もしっかりされた幅の広い道が続く。
霧越しの風景は幻想的である。
桜茶屋跡
8:57
一時間と少々登ると桜茶屋跡に至る、掲示板にはこうあった。

歴史の道史跡  桜茶屋跡

 ここには明治の末年まで茶屋がありました。
庭先に桜の大木があったので桜茶屋と名付けたといいますが、この付近には山桜が多く自生していましたから、この地にふさわしい呼び名であったといえます。
 ここから見下ろす小和瀬のはずれに白装束の巡礼の一団を見掛けると、茶屋の主人は大急ぎで餅をつき、お茶を沸かし、準備万端調えたところ先刻の巡礼の一団が店先に姿を現したといいつたえます。

 山家とは嘘よ名を知れ桜茶屋  燕志
 休め休め日は暮次第桜茶屋   杉暁
 茶屋の名の花にも化かす五月空 麦雨

足下に注意して山路をお楽しみください。
      熊野川町教育委員会
茶屋跡には古い石臼があった、主人は夜、繁盛を願いつつこの臼で粉をひいていたのだろう。

振り返ると、小和瀬の集落には雲海が覆っていた。
明るい古道
9:23
桜峠:この辺りから常緑樹林の中を進む。 常緑樹林の中は明るく落ち葉がクション代わりになって、やさしい道になる。
古の巡礼者たちはこのような道を歩いたのだろうな。
ピカピカして美しい葉。 大きな立ち枯れの木がありました、桜峠から数キロの間は常緑樹林帯の明るい道がしばらく続きます。
木の実などが多い為か鳥のさえずりがよく聞こえてきました。
犀の河原
10:00
芽吹いた羊歯に日が射して、美しい緑が目に飛び込んできました。 賽の河原地蔵:昔この辺りで若い修行僧が狼に襲われ亡くなったのを弔う地蔵尊あるそうだ、古道歩きをする人が小石を積んで行くので今で小山のようになっている。
林道横断
10:15
太陽電池式の緊急電話、アンテナの向きからすると衛星電話?かも。
僕の携帯(AU)は時々アンテナが立つ状態で大雲越に比べると良くつながるほうでした。
現在は和歌山県世界遺産センターで参詣道安心情報マップをダウンロードできるのでお出かけの際は確認しておきたい。
林道と交差して尾根を3つ4つ過ごすといよいよ百間くらが近づいてきました。
林道との交差部から請川方面へは行きかう人も多い為か、道が整備されて大変歩きやすい。
百間くら
10:26
見えてきました、地蔵が小さく見えますね、小走りになりたいのをぐっとこらえて歩を進める。 来ました・・百間くらです、重々たる熊野の山並みが一望できました。
ここで休憩を取って、昨日南方商店でかったチョコを食べてお茶をのみ、20分ほど絶景を眺めて過ごしました、誰も居なくて、この空間を独占できた事に感激です。
百間くらからの眺め。
松畑茶屋跡
11:06
百間くらを過ぎて進むと下から若い人がやたらと上がってきました。
高校生くらいの子供達が皆「こんにちわ」と挨拶をしてどんどん登ってきます、中には仲間と走りながらくる子もいて、元気なものです。
若いっていいなー
写真は松畑茶屋跡です、ここには茶屋の住人の墓が道沿いに点在していました、かつての幹線道路で長らく生活があった証ですね。
その横を高校生達が「わーわー」言いながら歩いています、後で請川のおばさんと話していたら「新宮の高校生の遠足で300人来ていたよ」と教えてもらいました。
熊野川が見えてくるともうすぐ請川です、上流にダムが出来たので水量は少ないが、かつてはこの川幅一杯に水が流れていて、数百人の筏師が生活していました。
風屋・二津野、ダムの建設を最後に筏下しは終焉を迎えたました。

熊野の山川を生活の糧とした人々の記録に宇江敏勝氏の「熊野川」がある、興味のある人は必読ものです。

請川
11:58
請川の国道に出合う手前の民家に椿の花が散って綺麗なカーペットのようになっていた。
美しい。
小雲越はやがて国道へ合流する。紀伊山地に於ける幹線道路だけにひっきりなしにダンプやバスがはしる。
請川からバスにに乗って「本宮大社前」で下車、大斎原へ向かう、明治22年水害で壊滅的な災害を受けるまで、本宮はここにあった。
その後現在の地へ遷宮したのですが、旧社地を今でも祀る。

大鳥居・門内の本殿の撮影には許可がいる。
ここ大斎原は一説によると上流で水葬された遺体が漂着した所とも云われている。
死者の霊魂の浄化と葬送儀式には密接な関係があるのだが、水葬・広い川原・鳥達、との組み合わせは切っても切れない関係性を生じ、強い力を持つ神として信仰されて行ったのではないでしょうか。
大斎原の上空には象徴的な鳥達がのんびり旋回して獲物を狙っていました。
さていよいよ本宮鳥居までやってきました、コバルトブルーの空に八咫烏の幟が映えています。
鳥居前ではもうで餅を売っていました、前回新宮で買いそびれた私はすかさず買いました。旨いです。
今の参道の脇にかつての参詣道がある、石畳のひかれた趣のある道です。
神門から先は撮影許可が必要、桧皮引きの屋根が美しい。 参拝客は皆本殿前で深く頭を垂れて、一心に願いを届けていた。
貴・卑賤を問わず、浄・不浄を問わず、信・不信を問わず、すべてのもの達を受け入れてきた懐の広い神がここにおわします。

西行の歌に「何事の おはしますをばしらねども かたじけなさに 涙こぼるる」

これは伊勢神宮を詠んだ歌だと云われていますね、だけども今の日本に一番不足している思いであるように感じます。
これで私の熊野詣で中辺路編は終わりました、何事も無く無事終了した事に「涙こぼるる」思いです。

熊野古道を踏破して全編通じて感じた事は植物と人間の関わりでした、今いえる事は熊野への僕のイメージは苔そのものです。

本宮の社務所の横の空き地には苔が覆い尽くしていました。
前の大雲取越


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川湯温泉(仙人風呂)
雲取越を終わって本宮への参拝が昼頃には終了しましたので、この時期(11月〜2月)まで実施されている川湯温泉の仙人風呂へどっぷり浸かってきました、気持ちよかったー。
仙人風呂は大塔川をせきとめた露天風呂です、男女混浴ですがほとんど男連中が浸かっています。
仙人風呂は大体40度前後でややぬるいものの、いい湯加減でした。
男の脱衣所はほぼ解放されていてそこで着替えます、水着着用の指示はありませんがほとんどの人が水着を着けていました。
貴重品いれなどはありませんので、手元に荷物を置いて入浴した。
仙人風呂は川原にあるので増水すると埋まります、埋ると手前のユンボで浚渫して再開するようです。
仙人風呂に浸かったあと、時間があったので川湯公衆浴場へ行きました。
大人(中学生以上)250円、小人130円でいい温泉でした。
お湯はかけ流しでパイプからどんどん流れてくる。
新宮から通うと言うおじさんと長話しながらゆっくりと湯を楽しんだ、おじさんは、何でも温泉めぐりが楽しみで、腰痛持ちなのが「ここの温泉が腰痛や関節痛に一番やー」とかで週に二度は通うとか・・
僕も先日からの筋肉痛を和らげた。
シーズンオフの温泉地は何処と無く寂しげで、静かに佇んでいた。 大塔川には鴨の親子がのんびりと餌を探して徘徊していた。
僕も家が恋しくなって来たのでバスに乗って家を目指した。


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