熊野街道散歩 中辺路C (3) 速玉大社〜那智(勝浦泊)


 湯の峰温泉を堪能した翌日、8:46分湯の峰温泉発のバスに乗り込み新宮に向かう、バスは川湯や渡瀬の温泉地を結んで熊野川を下って行く。
車窓には、前日からの雨にいつもより増水した熊野川のコバルトブルーの水面が映えて美しい、雨雲の合間に時おり覗く太陽の光をきらきらと反射させる川面を眺めていると飽きる事は無かった。
 バスの時間帯によるものか?バスには学生さんが多く乗り込んでくる、教科書を見ながらあれやこれやと教えあいをしている様子を眺めているうちにバスは新宮市内へと入る、国道をしばらく走って 権現前 のバス停でバスを降りた。

 今日は訪れたい所が多くて時間的に不安要素が多い旅に成りそうで、腕時計は10:01を示していた、北に見える速玉大社に向かい足を速めて歩いた。
ルート

歩行(速玉大社〜那智駅)万歩計データ20.66km
08/01/12






速玉大社:湯の峰温泉を8:46発のバスは権現前に10:00前に到着しました、ボツボツと雨の降る中、バス停を北に向かう、3分ほど歩くと熊野速玉大社の南門に着きます。

バス時刻等熊野交通
速玉大社:国指定天然記念物のナギの木は後で見ることとして、早速参拝へ向かう、神門前では もうで餅 と云う旨そうな餅をオバサンが売っていました、この日08/1/12は神倉神社を巡り、那智まで歩いて行く予定で、おまけに勝浦の はまゆ に浸かる計画だったので、オバサンの「おいしいですよ」の言葉を振り切って・・・後で聞くと もで餅 大変旨いとの事、残念で残念で・・
速玉大社本殿:速玉大社の本殿に額ずいた時、先ほどまで降っていた雨がにわかに晴れ渡り 社を照らしました、朱色が美しいく映えていた。
梛の大樹:高さ18メートル、幹周り4メートルあり、地上2メートルのところから7枝に分かれている。国指定の天然記念物である。
梛の大樹:雨にぬれた幹は黒光りして生命力を示す、樹齢は1000年ほどもあると云う。 熊野牛王: お約束の牛王宝印を授けてもらいました、速玉大社は南紀の正倉院と言い習わされる程の国宝を所有している、時間があれば神宝館を尋ねたい。
薬師町:清閉院のある薬師町辺りは寺町でありいい雰囲気の通りを歩きながら神倉神社「へと向かう。途中 新宮の熊野比丘尼の本寺になる妙心寺を通るが少し荒れた感じになっていた。 神倉神社:薬師町を過ぎ、川沿いの民家の間をしばらく歩くと、下馬 との碑がある、力強い書体で有無を言わせぬ力があった。
神倉神社:神倉神社の御神体は源頼朝が寄進したと伝わる鎌倉積みの538段の階段の上に鎮座まします ゴトビキ岩 でありますので、登ることにしました。ここは10:30頃に訪れたのですが、じさま達がたくさんおられまして、色々と話かけてこられます、僕の大荷物を見て 「重いいやろ」 
「下にコインロッカー付けたらええのになぁー」とか わぁーわぁーやってます。
イヤーパワーある じさま が多いなと感じましたがその訳が後でわかりました。
神倉神社:鎌倉積みの石段が始まります、かなりの急勾配で少しビビリました。とは云ってもきついのは中の地蔵といわれる小社のある場所まででそこを過ぎると普通の階段位の勾配になります。

毎年2月6日夜に行われるお燈祭は、関西圏では毎年TVの季節ニースになっていますが、この階段を松明抱えて全力疾走で降りて来るのですから驚きです。
先ほどの じさま 達もこの階段を杖を突いて上り下りされてました。
神倉神社:石段を登ります、参道中ほどの中の地蔵を過ぎた辺りからただならぬ空気が漂います、これは普通の空気ではありませんでしたよ。

独特の空気とでも申しましょうか?えも云われぬ雰囲気で普通の場所ではない事が鈍感な私にも感じる事が出来ました、この中を先ほどの じさま がえっちらおっちら上られています。
神倉神社:ことびき岩前の鳥居辺りです、右の岩(なめら)からは清浄な水が湧き出し、雲間から差し込んだ朝日が前方の鳥居に光の矢を放ちます。
その荘厳な景色に打たれました、正直に申して、空気に体が反応して「鳥肌」が起ちましたよ。
この度の熊野街道散歩はここへ来るために始めたような気がしましたね。
神倉神社:ゴトビキ岩が見えてきました岩(なめら)の上に どん と云う感じで鎮座されています。 神倉神社:ゴトビキ岩です、ここからの眺めは美しく新宮の町を一望できます、雨が上がり一条の光がゴトビキ岩を照らしていました。
新宮遠景:いい眺めです、海の風がやさしく吹き抜けて、日の光があたり、暖かい空気に包まれるような場所でした、太古から神聖な場所として守られてきた所が持つ 独特な 空気のある場所でした、ここでは地や海や空からパワーをいただけるような気がしました、ここに集まられていた じさま 達が元気でおられるのも解かる気がしました。
新宮市内:神倉神社を降りて新宮市内を蓬莱山へと向かう、懐かしい感じの果物屋があった、僕らが子供の頃はこんな感じの店がほとんどだった。 浮島の森: 昭和2年に国の天然記念物に指定された 浮遊泥炭層 植物の遺体が折り重なり出来た泥炭マット層の浮遊体 詳しくはこちら
丹鶴城跡: 市街地の北、熊野川を背にした高台にあり、東に河口をこえて太平洋を一望でき沖見城とも称された。
現在では公園として整備され、石塁の残る城跡に立てば、その眺望が実にすばらしい。(新宮駅より徒歩8分)
 新宮市のページより引用しました。
阿須賀王子: 丹鶴城を過ぎるとすぐに阿須賀神社が現れる、蓬莱山とよ呼ばれる神奈備型をした山の麓にある、熊野三山とは非常に関係が深いとの事。太古は熊野川の河口で小島で有るので人が生活しやすかったのでしょう、弥生式竪穴住居跡なども発掘されています。
詳しくはみ熊野ねっとへ。
赤ポスト: 阿須賀神社を出て浜王子に向かう途中に古い赤ポストがありました、街に溶け込んでいてなんともいい感じでした。 浜王子: 社の後ろが高台になっていて、かつてこの辺りが海であった頃は島であったのでしょう、那智に向かう巡礼者はここで潮垢離を行ったそうだ。
王子浜: 浜王子をしぐるとJRの高架下をくぐるようになっているが、現在08/1/12は工事で進入禁止でした、高架手前を左に大廻りして王子浜へ出る。 王子ヶ浜: 太平洋を左手にして石浜の道を進む、波の音を聞きながら並行するJRに時おり通過する黒潮号やオーシャンアロー号を見ながら旅情ゆたかに歩を進める。と言いたいのですが、浜を徒歩で歩くのは凄く体力が必要でした。
さかさ川: 地図ではこの高架下をくぐり廻り込むように案内されていましたが、昨日来の雨で増水してご覧の様に通る事が出来ませんでした。
で私は 良い子のみんなは決して真似してはいけない方法で 高野坂入り口に行ったんですね。
高野坂:きわどい思いでJR線路横の高野坂の入り口前に立つ、雨上がりでもあり滑りやすい状態で有ったのでここで靴の紐をきつく結わえ直す。
御手洗の念仏碑:坂を少し上がると突然目の前に太平洋が広がる、思わず足を止めて雄大な風景を眺めた。いにしえの人も感じる事は現在の人間とさほど変らないのか、地蔵を真ん中にして碑が建っていた。
古道沿いには顔が磨滅した古い地蔵がたたずんていた。
高野坂石畳:高野坂は道幅も広く石畳も多く残っていた、これは近世に伊勢詣 経由 那智山(青岸渡寺)西国33箇所詣りでここを利用した人が多かった事に由来するのかも知れない。 佐野:神武東征の時、この辺りに上陸し熊野から大和へ向かったそうですね。
佐野王子址: 今流行のメガマート(映画館・スーパー・アミューズメント)がある横に追いやられるように王子址がある。 佐野王子址:ひっそりと静かに佇んでいました。
小天狗峠: 佐野王子辺りから那智駅辺りまでは国道と着いたり離れたりしながら路が進むのですが国道部分は車道との境界が無かったり、あっても右になったり左になったりで、利用しにくく車には要注意区間です。 小天狗峠:右の看板に従い進む、この辺りの路はよく利用されていたのでしょう、ここも小さな峠ですが、建物跡の石垣が残っていて茶屋等があったのでしょうね。
大天狗峠:旧国道の脇に看板が出ていました、JRと国道の間に道が(設定)されていました。 大天狗峠:こんな感じの切り通しが大天狗峠です。
那智湾の諸島:遥か海上にはは、平維盛が入水したといわれる山成群島。その手前には金光坊島、綱切島、さらに、そのはるかかなたに補陀落浄土があると信じられていた。

金光坊の渡海以後、一例を除いて生きながらの渡海は無くなったと云う。

井上靖氏著:補陀洛渡海記ISBN4-06-198234-6

浜の宮へ向かう古道: 浜の宮王子に近ずくと国道から離れ田舎の路になってきます、正面の社叢が浜の宮王子です。
浜の宮道標:旧道が浜の宮王子に突き当たった場所に古い道標がありました。 浜の宮王子:熊野三所大神社の前に大きな楠の木がありその根元し王子址の案内板が立ててある。
浜の宮王子の楠:推定樹齢800年との事、補陀洛渡海も見たはずの老樹があった、大きな枝を延ばして空一杯に葉を広げていた。
補陀洛山寺: 捨身行の補陀洛渡海で有名になった。補陀洛渡海とは一言では説明できないのですが、右の船に30日分の食料を積んで遥か南方の「補陀落」ポータラカ 「チベットのポタラ宮が源意とも」いわいる 浄土 を目指して船出したそうです。  詳しくはみ熊野ねっと。

即身仏の海版でしょうか?
渡海船:この船に乗って渡海したのです、その思想には私には理解できない物がありますが、一ついえる事は、自分の命を対象としても しなければ成らない 何か? を持った人達が存在したと言う 事実がある。 と言うことだけです。
渡海上人墓石群: 補陀洛山寺の裏山には歴代の渡海を果たした人達が上人として弔われていた、墓石はすべて遥か南方の浄土を見つめているようでした。 振分石:ここは大辺路・中辺路・伊勢路、の分岐点であったそうです、古い道標がたっています。
那智駅:きょうはここ那智駅から勝浦までバスに乗ります、那智駅近辺では宿や、食事の確保が難しいので、勝浦での宿泊とし、バスにて移動しました。
バス時刻等
熊野交通

この日は街道散歩は終わって 温泉三昧 としました。
勝浦駅:15分程バスに揺られて勝浦駅に着きます、南紀の中核都市だけに駅前にはタクシーが着いています。
滝の湯:勝浦駅前に足湯「滝乃湯」がありしました。足だけの温泉ですが、かなり温まります。
バス待ちの人や電車待ちの人達が足を浸けていました、定員は8名ほどでしょうか。循環ではなくて、かけ流しのようです。
海の湯:勝浦漁港内に、新しく港の見える足湯「海乃湯」がオープンしていました。
こちらは大きな施設で50名くらいが利用できるスペースがありました。
勝浦港のすぐ横で行われる、日曜朝市やせり見物の観光客対策でしょうか?
鮪の湯:勝浦漁協前駐車場に足湯「鮪乃湯」がありました。こちらは地元の人と思しき人達が引きもきらずにやってきます。
僕は、遠慮をしてオバサンたちの井戸端会議が終了して浸かりに行きました、ほのかに硫黄臭がしていい温泉でしたね。
はまゆ: 私の本日のメインイベントで、銭湯好きな人達には有名な天然温泉の銭湯です。勝浦港の一番奥で営業されていました。
もう サイコーの銭湯でした、ここは別ページで詳しくUPしますね。
下町らしく、お客さんは手短に湯を済ませるようです、大体15分も居ないでしょう、お湯は硫黄の香りが漂ういい温泉(銭湯)でした、カランの湯も温泉でいい感じですよ。ぼくは一時間ほど湯を楽しみました。
夕暮れの勝浦港:すっかりぽかぽかに温まり、ぶらぶらと勝浦港を散歩します、酒屋さんがあったので麦ジュースを買って船を見ながら ごくごくぷはぁーですわ。 いい こんころもち で夕景を眺めます、明日は那智山ですね、さて速いけど寝ましょうか。

熊野街道散歩 中辺路C(2)本宮〜湯峰 熊野街道散歩 中辺路C(4)那智〜那智大社



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