竹 内 街 道 A 


古市〜長尾神社

 竹内街道・・街道の元祖である、推古21年(613)に日本書紀に記述される「自難波至京大道」として始まる。

 以後、都が京に移された事などから衰えた、中世・堺が貿易港として栄えるとともに、堺〜大和を結ぶ道として復活する。江戸期にいたり世が平和になるとともに、西国巡礼や伊勢詣、大峰詣、が盛んになり利用する人々も増えたようで、松尾芭蕉や幕末に至っては吉田松陰も通過したそうである。現在に至っては司馬遼太郎氏の母方の郷里であった事から氏の著作にも詳しい。

 08年春三月も末、ぼちぼちと桜が咲きそうな雰囲気ですね。金曜の夜に・竹内街道を歩こうか?と思いたち、調べて見ると堺の起点から終点長尾神社まで約30kmある。30kmを一日で歩くのはちとキツイものがあるので、二回に分けて歩く事にして とりあえず 美味しい後半を歩いた。

08/3/28 コース






古市駅: 近鉄南大阪線 古市 駅 今回から新兵器 ピタパ を使用した、小銭が要らずに大変便利でした。
西淋寺: 古市なはその名が示すように、古い街が残っていた、狭い町並みへの 迷い込み を楽しんでいたら西淋寺に行き当った。
西淋寺は欽明天皇の時代に創建されたと言われる、古いお寺だそうですが、何度も兵火に遭い、今では創建当時の大きな礎石を残すのみとなる。
寺前には古い道標が起つ。
石川: 大和川水系に属する一級河川、蔵王峠付近に源流がある。
大阪府内ではTOPクラスの清流を保ち府民の憩いの場所となっている、往時は水運の要路であり剣先船が行きかっておったのでしょうね。
川向の道標: 石川に架かる臥龍橋を渡ると、神南辺大道心(隆光)、発起の道標がある。
神辺大道心は、もと燗鍋作りの鋳物師で生来の放蕩者でしたが、息子に諌められて改心し仏門に入った。以後諸国を行脚しながら橋を架け道標を起てるなどの世のために尽くしたと云う、1830年頃までは 神南辺隆光 の名で建てた物が多くそれ以後は、神南辺大道心銘 が多いそうです。
近畿一円に彼が勧進した道標が多く存在する。

僕も熊野街道の道成寺前の「きよひめのつか」道標は実見した。
月読橋: 飛鳥川に架かる月読橋には大神宮と金比羅さんの常夜燈がある、かつてこの場所まで川舟が遡って来ていたそうだ。
明治22年の十津川大水害の時に北海道へと移住する十津川村民が徒歩でここまでたどり着き駒ヶ谷の住民がありったけの食べ物を出して炊き出しをした逸話が残る。
錫杖水: 駒ヶ谷小学校を過ぎて南側に役行錫杖水とされる井戸があった、地蔵尊も共に祀られていて、ちょっとした休憩場所になる。
大峰三十三度供養塔: 駒ヶ谷駅前の墓場の隅に大峰三十三度供養塔があった。近世は頻繁に、竹内街道を利用して西国巡礼や高野山参詣、大峰修験を行っていたのでしょうね。 竹内街道:しばらく国道と一緒になって車に怖い思いをさせられますが、太子町辺りから街道は旧道へと入りひとまず安心となります。
この辺りから道の駅 近つ飛鳥の里 までは良い感じの家並みが続きます。
太子町マンホール:聖徳太子ゆかりの町だけにマンホールも凝っていて、和を以って貴しと為す ですよ。 太子の家並:太子の大道に入ると立派ないい感じの家並みが続きます。
太子の家並:街道脇にはちょうちんが掲げられていました、この辺りに竹内街道歴史資料館があり街道史料が展示されています、西国三十三廻国行者のグループの葉室組がこの近くの仏眼寺を本拠としていた事からか?資料館には西国巡礼に関する貴重な展示物が多くありました。
頒布される書籍等も他では入手困難な物が多くあり、街道ファンには必見の資料館でした。
古い道標: 風鼻分岐路の道標古いもので、明和三年(1766)の物で竹内街道の中で記年のある道標の中では2番目に古いものです。
絵図で見る竹内街道解説書より
ここから街道は国道へ合流する、後・峠を越して竹内集落へ分岐するまではダンプがばく進する危険な道となる、早く歩道を設置される事を切に望む。
岩屋口の道標:岩屋峠へと至る街道の分岐に当たる岩屋口には多くの石造物がある。左端の夜燈は製作途中の物で未完となっている。 県境:岩屋口から10分程も歩くと奈良県との県境に至る。
県境:峠は明治10年から明治18年に渡り、開削工事が行われかつての峠は約7メーター近く低くなったそうです。
峠の頂上部に明治19年に地元有志が建てた竣工記念碑が建つ。
竹内集落への分岐: 車の通行量が多くて怖い国道をしばらく歩くと竹内集落へと分岐している、ここからはカラー舗装がされ古道であることが一目で解かる仕組みになっている。
竹内の集落:竹内はかつて宿場としても栄えていました、現在は民家になっていますが、集落の資料館にはかつての家業を示した掲示板がありました。加治屋・紙屋・宿屋、など多彩な商いがあったようです。 竹内の集落休憩所:酒屋の蔵跡を改装して資料館が造られていました。この隣には松尾芭蕉ゆかりの綿弓塚があり小公園として整備されていて休憩するにはいいところです。
長尾の集落:竹内の集落を過ぎると街が連続するように長尾の集落になる、このあたりも立派な民家が多くて良い町並みがありました。 長尾の道標:長尾神社の社叢が見得るあたりに、かつて街道の終点に当たる三叉路にあった古い道標が(左自然石)移設されてありました。
長尾神社: 古くからある神社で巳さん伝説がある、竹内の集落辺りから長尾神社の社叢が見てとれる。 二上山:約2000万年前の大噴火により形作られたと言われている。石材の産地でもあり「サヌカイト」と石棺などに使用される「凝灰岩」、研磨剤の「金剛砂(ざくろ石)」が取れる。
サヌカイトは縄文時代には貴重な石材で、ここと香川県でしか採集できなかったので、石材加工技能に秀でた人々が先史時代から集まっていた事でしょう。

竹内街道@ 大小路〜古市


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