竹 内  街 道 @


大小路〜古市

竹内街道は日本書紀の推古天皇二十一年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた、日本最古の「官道」。 現在の竹内街道は、大部分は推古天皇時代の官道と重なっている。東側は奈良盆地南部を東西に横切る官道横大路につながっている。 かつては丹比道(たじひみち)と言われた。丹比野を横断するのでその名が付いたと推定されている。大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26kmの街道であるが、羽曳野市の白鳥交差点から葛城市の竹内集落付近までの区間は、そのほとんどの区域が国道166号に指定されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

前回の竹内街道 Aの訪問時に竹内街道歴史資料館で手に入れた 「絵図で見る竹内街道」 を参考に散歩をしました。08/4/28
コース地図


大小路起点: 昭和33年に建てられた街道の起点・堺北警察の前です。 紀州街道交差部: 路面電車の花壇の躑躅が綺麗に咲いています、ここは紀州街道との交差点でもあります。
西国三十三度供養塔: 街道を東進して南海高野線の手前あたりに西国三十三度の供養塔がありました、この辺りがかつての街の端であったのでしょうか。地蔵様などと一緒に丁重に祀られていた。 街道曲線を描きながら: かつての街道を彷彿とさせる曲線を描いています。現在の道のように「かっちり」していなくて良い感じですよ。
西高野街道分岐点:高野線の踏切から5分ほど歩くと西高野街道との分岐が現れます。分岐部の角には御影石の説明版が設えてあり、竹内・高野、各街道の説明が刻まれておりました。 高野街道道標:高野山女人堂十三(里)と刻まれた道標の周りに地蔵尊が祀られています、いにしえの旅人はここから高野山や西国巡礼へと歩を進めた事でしょう。西高野街道へ
黒土西地蔵尊:西高野街道との分岐を過ぎて中央環状線を通過すると、黒土町に入る、古くからある町で道筋に地蔵が祀られていた、左端の小ぶりな地蔵は道標地蔵であった。 現在の道標:最近出来た物の様で寄贈者の氏名が刻まれた標柱。最古の官道 が歴史の古さを主張する。
金岡神社別社・西宮: 街道沿いに大きな楠木があったので覗きに行きました、この先にある 金岡神社 の別社との事、大きな楠で高さ20メータ程もありましょうか?巨樹ですね。 金岡小学校前のタイル地図: 金岡小学校の前には生徒が書いたと思われる陶製の地図が掲示されています。丁重に作られた物でじっくり眺めていると時間を忘れてしまします。
金岡神社:境内地の南側が竹内街道。神社由緒によると、このあたりは河内絵師と云われる職能集団が住んでいたようだ。絵師の巨勢金岡を祭神とし、住吉三神、他を祀る。
難波の宮南大門前を起点とする難波大道は摂津の国を南下してこの辺りから東進していたのかも知れませんね?
かつてそびえていたであろう楠の切り株の上に新しい楠が根を張っていました。
中之町会館前: 資料館で手に入れた資料でこの地蔵尊の線香たてが道標になっていて、珍しいとの事。 珍しい道標:右狭山 瀧谷山 南無地蔵大菩薩 道
        左富田林 金剛山 大峰 
と刻まれています。
大泉公園付近:街道は一度中央環状線に出た後、北に分岐して大泉緑地の縁を進む。バーベキューを楽しむ家族連れで大賑わいの公園を横目に歩を進めた。 街道沿いは住宅地や工場が混在する下町です、丹精に育てられた躑躅が道沿いに出されいて行き交う人の目を楽しませてくれます。
松原市岡の道標: 竹内街道と中高野街道との交差部に建てられた道標で、製作年は1797年とはっきりしています。現在でもよく利用される生活道路の交差部で、ひっきり無しに車が通過していました。 羽曳野市野あたりの街道風情:丹冶はやプラザ辺りには古い町並みや神社・遺跡が残っていて、散策にはもってこいの場所でしょう。
伊勢の橋: 東除川にかかる橋には 伊勢橋 の名が付いていて、往時の伊勢参りの流行が偲ばれる。 野中寺伽藍礎石址: 今は小さくなっていますが、野中寺はかつては大寺であった事でしょう。
太神宮灯篭:野中寺あたりを過ぎると良い感じの町屋が連なる通りになる。かつてのお伊勢参りの隆盛を物語るかのように大神宮灯篭がぽつねんと佇んでいました。 峯ヶ塚古墳:羽曳野にはかつて王朝があったようで巨大古墳が沢山ある、それらの古墳は整備され公園化されたものもある。
日本武尊(やまとたけるのみこと)白鳥稜:日本武尊は東国征伐を遂げて帰国する途中、伊吹山の神を討ちに行った際の怪我が元で、能煩野(三重県亀山)で亡くなった。そして、魂が白鳥に姿を変えて懐かしい故郷へ向かって飛んで行き、最後に飛来した場所がここであると言われている。
大和は国のまほろば、たたなずく青垣山、隠れる大和しうるわし。
白鳥神社:日本武尊を主祭神とする、元は軽里に伊岐宮としてあったが、戦国期に荒れ果て、峯ヶ塚に小祠としてあり1596年慶弔大地震で倒壊した物を寛永末期にこの地に移し、古市の氏神として祀ったそうである。
蓑の辻の道標: 旧羽曳野市商工会館があった場所には古い道標が建っています、旧羽曳野市商工会館は近代レトロ建築で貴重なものであったそうですが、訪問日(08/4/28)には取り壊されていました。 この日はここまでとして(と云うか美味しい後半を先に歩いてしまったのでここで終わり)古市から近鉄で帰宅した。
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