西 高 野 街 道



高野山への巡礼道は高野街道と呼ばれている。この街道には西高野街道、中高野街道、下高野街道、東高野街道の4つのルートがあり、現在の河内長野市内で高野街道へと合流し、紀見峠を経て、高野山へと至る。
かつての巡礼道は狭く、自動車がメインとなった今では地元の生活道路として利用されていますが、古い町並みがあったり、地蔵さんが佇んでいたりする雰囲気のいい道となっている。
夏の猛暑日に堺から西高野街道を歩く。19.2km ルート   08/8/13



堺市役所: 西高野街道の起点は大小路とされる。竹内街道との分岐点までは重複するので今回は堺東駅から歩いた。 起点へ 十三里石: 榎本町4丁目で竹内街道と西高野街道が分岐する、分岐点には高野山(女人堂)までの里程を示す道標(里石)が残されている。
この里石は狭山の茱萸木の住人 小左衛門 と 五兵衛 が発起人となって安政四年に建てたとの事。                            
竹内・西高野、街道分岐点: 右が西高野街道・左が竹内街道、朝6時10分頃だがもう蝉が鳴いていた。 仁徳稜:分岐点からしばらく歩くと、中央環状線に出て、すぐに仁徳稜にあたる、今は大仙稜と呼ばれているそうですね、1960年代生まれの僕らは仁徳天皇稜の方がピンと来ますね。
百舌鳥梅北辺:  このあたりは古い大きな民家が多く残っていていい雰囲気が残っています。ふとん太鼓の提灯が電柱の間にたくさんぶら下がっていました。 百舌鳥八幡宮:  街道からは少し外れますが百舌鳥八幡宮に参拝しました。目的は大阪府の天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大な楠を見ることでした。   
百舌鳥八幡宮から街道へ戻る道すがら都市には珍しく稲が植えられている、稲には朝の露がまとわり美しい水滴がついていました。 百舌鳥の楠:  街道に戻り少し進むとこんもりとした森が見えてきます。個人の邸宅ですがここにも大阪府指定の天然記念物の楠がありました。
百舌鳥の楠:樹齢800年とも1000年とも謂われる、雨乞いに霊験がある木とされていたそうだ。 街道沿いにはハイビスカスが赤い大輪の花を咲かせていた。
十二里石:南北朝時代に河内に勢力を広げた楠氏は現在の府大近くに大野の関所を設けたそうだ、関所近くの茶屋から町が発達し江戸期に関茶屋・中茶屋の地名が生まれたとされる。
このあたりに小左衛門 と 五兵衛さんの十二里石がある。
関茶屋辺の道標地蔵: いつの頃の道標かは不明でしたが、東西を貫いたであろうふるい街道沿いに 東 なら ふじいてら と刻む道標があった。
いい感じの町並みが続く。 中茶屋辺の地蔵: 路傍には古い地蔵があり今でも丁重に祀られている。
大神宮常夜灯: 東区草尾辺りに大神宮の銘を刻んだ常夜灯が榊を添えて祀ってあった、伊勢講と関わりがあるのでしょうね。 草尾の道標: このあたりは草尾と福田の地割が複雑に入り組んでいて、左が草尾、右側は福田の在所となっている、この辺も古い町並みが続き雰囲気がいい。
滝谷・高野分岐:ここで道は滝谷へ至る街道が分岐している、分岐点には古い道標があったが、(左たきたに、金剛山    右こうや、大みね)と刻んであった。
横面には(発起人 神南邊(辺)  隆光 )とあった 
おっ。ここにもあるやん。
街道沿いには楠があって大きな樹幹を広げています。夏の太陽を受けてまぶしい程の緑色が青空に生えて美しい。
この後街道は府道36号線を越えて南下して、福田・福町、を通過する。府道36号線はかつての和泉街道と重複する道でこの道は伊勢詣で利用された道のようだ、福田・福町は昔賑わった所のようで立派な家屋がたくさん残る道を進む。
十一里石: 福田・福町から勾配がきつくなり、高度を稼いだ街道はやがて狭山へ至る、北野田辺りからの街道とおぼしき道との合流部に十一里石がある。狭山は最古のため池「狭山池」が有名ですが、水利の便が悪く、近辺の丘陵には多くのため池が点在している。 天野街道分岐: 岩室を越えた街道は女人高野として人気のあった天野山へと至る 天野街道 と分岐する。
分岐点には 「右 あまの山 左 かうや山」と刻む古い道標が佇む。
山本からの景観: 山本辺りで高度のピークを迎えた街道は茱萸木にかけて下り始める、葛城山・金剛山・紀見峠・岩湧山、の展望が広がる。
三津屋地蔵尊:おわり坂で下高野街道と合流した街道は茱木へ入る、すぐに三津屋地蔵尊があった。 茱木辺り:ここいら辺りまで来ると、田園風景が広がる、夏の太陽を受けて緑に光る稲が美しい。
茱萸木辺り:国道310号線に平行する形で街道は南下する、車が離合するのが難しい狭い道だが、国道が停滞すると地元の車がひっきりなしに通過する。 十里石:河内長野との境界近くに十里石がある、里石の発起人小左衛門 と 五兵衛さんはこの辺り(茱萸木辺り)に住んでいたとか?。
西国三十三度供養塔:道はやがて河内長野市へ入る、道沿いの松ヶ丘の町には西国三十三度供養塔と大神宮常夜灯があった。 真夏の事でもあり、十時を過ぎると日がじりじりと照りつける。
中高野街道合流部: 河内長野楠町東で中高野街道と合流する、合流部には古い道標と常夜灯・地蔵があった。 神南大道心道標:中高野街道との合流部の反対側に 神南辺大道心(神南辺隆光) が建てた 四国八十八ヶ所遥拝道 の道標が建つ。
晴明塚:千代田の一里塚を過ぎてしばらくすると晴明塚がある、阿倍晴明と謂れのある場所であるそうで、五条大神宮常夜灯と神南邊の碑があった。 原町の瓦屋: 原町の瓦屋さんに珍しい猫の瓦製の飾りがありました、恵比寿や大黒の物もあって面白いですよ。
原町道標:国道170号線の高架をくぐった先に多くの道標があります、西国巡礼道との交差部であったようで、半分埋まった道標がありました。
左 まきのお 右 さかい大坂 でしょうか?
原町十三仏: 原町には阿弥陀寺の廃寺に伴い、阿弥陀寺旧境内にあったとされる石造仏が、付近の住民により当地で祀られている。
 説明版
石造の観音さんはいい顔をしています。屋根が付いていますので、日をよけて一休みしました。 原町:西高野街道と西国巡礼道の交差する地点、道に沿って古い道標(黄色矢印・緑矢印・赤矢印十三仏)が点在する。
九里石:寺元記念病院の西側のい道を南下すると、九里石がある、行者講の小さな東屋と大峯三十三度記念の碑があった。 九里石の横には堺と大坂への里数を示す道標があった。
右 中本山極楽寺 左 さかい四里 大坂七里、とある。
十三仏を過ぎたら代官所跡や九里石を過ぎて河内長野駅に着いた、真夏の街道歩きは暑くてこたえます、朝から歩いて昼までが限度でしたね、駅前のバーガー屋でフラッペを食べて体温を下げました。 河内長野駅です、朝の6時頃から歩いて11時20分頃の到着でしたから、約5時間半の道程でした。盆休み中に紀見峠辺りまで歩こうか?などと考えながら帰途に着いた。
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