奈良街道(暗峠)

 奈良街道暗越は奈良時代以前から利用されてきた古道であるそうだ。
大坂から奈良へと至る最短街道で約34kmの距離がある、物資運搬やおかげ参りで盛んに利用された道で峠付近には石畳がひかれ茶屋も沢山あったそうだ。
 古道であるだけに路傍にある石仏が鎌倉期のものであったり、古刹があったりする雰囲気のいい街道である。
   ルート 09/1/03  


 タイム 
7:55 
奈良街道暗峠はほぼ国道308号線をトレースしていますが、この国道は大阪外環状線(国道170号線)以東は酷道とも云われる。軽自動車での離合も困難な場所もあり 南生駒駅を出て10分程歩くと静かな住宅地の中の生活道路の様になっている、これほんとに国道?と疑いたくなるような舗装道路であるが、奈良ナンバーの車が結構行き来している。
8:28
急な坂道を登りきると藤尾の石造阿弥陀立像があります。上辺が少し欠けていますが、自然石の表面に、蓮座に立つ阿弥陀如来を線彫りしたものです。石の右側面に文永7年(1270) の銘があります。
古い石仏ですが線彫りが残っているので長い間お堂の中で大切に祀られた仏でしょう。
もちろん現在も大切に祀られているようで、献花台や香炉代なども綺麗に清掃されて花も捧げれれていました。
何気に歩き始めたのですが、いきなり13世紀の石仏に巡り合うなんて、さすがに奈良です。
8:40
藤尾の石仏より、五分ほど登った道の右側の崖に、鎌倉後期の造立と推定される磨崖仏があります。 岩の上部に、蓮華座に立つ来迎阿弥陀像を半肉彫りし、左右には、観音・勢至両菩薩の種子を刻んであるので三尊形式だそうです。
いやはや鎌倉後期ですか、ここに来る途中にもかなり古そうな石仏がありました、恐るべし暗峠です。
その先にに防人の歌、「難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲そたなびく」が刻まれた碑があります。その奥に地蔵石仏・六字名号碑がありました。さらに右手奥上部に役行者・前鬼・後鬼像がありました。
かえって調べたら石仏・名号が室町期、役行者が江戸期の物で有るとのこと。奈良時代以前からある古街道・・まいりました・・
西畑から暗峠へかけては棚田の風景が広がる。 街道沿いの地蔵からふと振り返ると遠くに奈良の町が霞んで見える。
9:08
南生駒の駅から歩き始めて一時間程で暗峠付近に至る、遠くに奈良の町とその先の加茂方面の山並みが重なって見える。 暗峠は石畳がひかれ、風情のある街道風景が楽しめる。茶屋などがあって一服できるようになっている。訪問日は正月の事でもあり店は休んでいましたが歩き旅にはありがたい。
暗越奈良街道と暗峠
 河内平野を横切り生駒山地を越えて、大阪と奈良側を結ぶ街道としては、北から中垣内越(古堤街道)・暗越(奈良街道)・十三峠越(十三街道)・北八尾街道(亀ノ瀬越)などがあり、これらとは別に枝道としていく本もの山越の道が古くからありました。
 この中で、生駒山頂の南側に位置する鞍部・暗峠 (標高455m) を越える暗越奈良街道は、大阪と奈良間を最短距離でつなぐ道で、8里8町(34km)あり、日下の直越の道とともに奈良時代以前から利用されてきた古道のひとつである。
とくに江戸時代に入って、この道は本街道ではなく、脇往還としてならはもちろんのこと、大和・伊勢間をつなぐ旅客・貨物の重要な交通路として発展しました。街道の難所・暗峠には石畳が敷かれ、『河内名所図会』にのせられているように、”河内屋”、”油屋”など20軒ちかくの茶店、旅籠があり、伊勢参りの人々でにぎわいを見せました。
   現在、国道308号線。  東大阪市
おかげ灯篭:安政時代の「おかげ灯篭」であるそうです。
この灯篭を眺めていると基部に穴があいています、これは「盃状穴」だなと気がつきました。
盃状穴: 岩や石製品に盃状やすり鉢状の穴を掘ったもので、西日本一帯に多く分布しています。
この風習は古代からの呪術の一つで、旧石器時代からあると云われ、北欧で発生し、シベリア、韓国を経て、仏教と習合してわが国に伝来したともいわれています。
女性のセックスシンボルを表すとも云われ、多産、五穀豊穣、病気治癒を祈りながら穿った穴の名残りだろうといわれ、明治初期まで残っていた風習であるそうですが、詳しい事はわかっていないようです。
かなり狭い道で車の離合は難しいだろう。かつての街道をそのまま国道へ指定したものだから現在の車社会には適した道ではない。

まあもともと徒歩で歩いていた道だし、日本でも最古のクラスの道だけに多くの人達が昔から住んで居た訳だから、道幅を広げようにも大変なんでしょうね。
9:30
弘法の水:坂を半時間ほど下ると弘法の水なる湧き水がありました。
澄んでいて綺麗な水なのですが飲用不可との事。かつては旅人の喉を潤した事でしょう。
お堂の中の笠塔婆は、鎌倉中期弘安7年(1284)に建てられたもので阿弥陀如来座像の下に「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。当時旅人の安全を祈って建立されたものか、南東方の山中の存在した新感寺との関係があるものかも知れないと、東大阪市の説明板にありました。
椿の花びらが側溝に散って綺麗ですが、勾配がキツイ道である、ゲレンデの中級者コース並みの急勾配で、時おり登ってくる自動車は一速全開ではなかろうか? 道の端には不動の石造仏が見受けられた、おそらくは沢を流れる水流を使用しての修行場ではなかろうか?
10:10
大阪側は勾配がきつい・・芭蕉の句碑がある辺りは20lを越しているのでは無いか?カーブでは車がタイヤを鳴らしながら喘いで登って行く。 街道からはそれるのですが、牧岡神社へ向かいました、正月3日の事でもあり多くの参拝客で賑わっていました。
摂社・末社まで燈明が入り幻想的で美しい・・ 河内の国一ノ宮だけあってかなりの人出でした。
高麗橋〜牧岡 南生駒〜春日大社


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