紀 州 街 道 A


大和橋〜岸和田

 大和橋を渡った紀州街道は中世黄金の日々を迎えた自由都市 堺 へと入る、古い家並みを残す堺を後に道は泉州 岸和田へと向かう。
 コース  06/5〜07/10の訪問を統合。






大和橋:かつての公儀橋を渡り堺へと入る。 堺:堺は中世に自由貿易都市として栄えた、今は往時の姿を偲ぶ事は難しくなっているが、刃物と自転車の町として名を上げている。
旧湊町郵便局:昭和8年7月21日に開局したこの郵便局、レトロな木造建築物で現在は使用されていない。

周りの土地は開発が進み分譲中の幟がはためく。
風車:堺は風車の町でもあった、灌漑用の井戸から水をくみ上げるのに利用されていた。僕が子供の頃(40年代)はそれこそあちこちにあって「キーキー」と寂しい音を響かせて水をくみ上げていた、水車の横には小さな池があってそこへ水が貯まるようになっていた。
農夫はその水を二つの桶に天秤棒でもって肩で降り分け、畝に芽生えた葉物の苗に桶から上手にみずやりをしていた、畝は20〜30程もあり繰り返しのみずやりは子供心にも重労働である事が感じられた。
北畠顕家供養塔:太平記で有名な武将北畠顕家は石津の戦いでこの地で戦死したそうです。現在はその場所に供養等が建てられいて、躑躅の花が綺麗に咲いていました。 06/5/5 浜寺駅舎:明治40年(1907)に建築された駅舎、現役稼動される駅舎としても貴重な物です。
高石神社:この辺りは太古から白砂青松の風光明媚な場所であった事だろう、この辺りは臨海工業地帯の開発があって往時の白砂青松を偲ぶ事はほぼ不可能なのですが、浜寺公園とここ高石神社にいくばくかの松ノ木が残り、かつてのよすがを想像する糸口となるでしょう。 田中本陣:田中家は代々大庄屋を務めその屋敷は紀州藩主参勤交代の際、本陣にに充てられていた。非公開
西国巡礼三十三度供養塔:調査不足で詳しい事は分からないが、西国三十三箇所巡礼供養塔でしょう。 徳本碑:この供養塔の中に徳本碑がありました。
忠岡の町屋:道は忠岡町へと入る古い町屋が懐かしさを誘う。 岸和田辺り:街道は、忠岡を過ぎて岸和田市へと入る、何かの祭りの後か?お花代がかかれた物が掲示されていた。
酒造倉庫跡:岸和田の街道沿いには古い酒屋の倉庫が建物が残り、なんともいい雰囲気を出しています。 岸和田城:かがて街道は岡部氏の治世が長かった岸和田城へといたる。

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