紀 州 街 道 @


高麗橋〜大和橋

 大阪から和歌山へは古くは熊野街道が主な街道であったようですが、中世以後大阪湾岸沿いに発達した村落を結ぶ形でこの道は形作られていったようです。

 江戸期に入り紀州藩が参勤交代に利用していた大和街道から紀州街道へ切り替えて街道整備を行ったそうである、いにしえの参勤交代街道を散歩してみた。 コース             07/6/3〜  






里程元標跡:近世の大坂における街道の起点はここにあった。大坂における一番往来の人が多く賑わいのある場所で、大店が軒を連ねていたそうです。 高麗橋:太古橋の東に朝鮮使節を迎える「高麗館」があり、豊臣秀吉時代に架けた橋が高麗橋との説もあるそうです。
人通りが多かったので江戸期には幕府のお触れを出す高札場があったそうだ。
コニシ株式会社の木造町屋建築:この木造町屋建築は大阪府の登録有形文化財第一号であるそうです。 日本橋辺り:おたろーどのやや南です。作業工具や中古のLP盤などを売る店が連なります。
天下茶屋跡:豊臣秀吉が堺に行く途中、地域を通る街道沿いにあった屋敷で茶会をおこなったことが、地名の由来となっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

粉浜辺り:粉浜辺りは住吉大社に接して古くから町があったようです。
紀州街道はこの辺りでは「住吉街道」とも呼ばれる。
住吉名所図会にみる紀州街道:図会には俯瞰図でもって、住吉の里と紀州街道や西住吉街道が描かれている、奥に小さく描かれているのは熊野街道でしょうか?紀州街道には往来する多くの人々の様子と手前の海には新田開発の様子や商船の往来が描かれ、往時の殷賑振りが伺える。
住吉大社:摂津国一ノ宮 住吉大社の前を紀州街道は通過する。かつてはこの街道沿いに店を構える事がステータスであったそうだ。 安立へ:大社から安立への筋は微かに街道の香りを残す。
霰松原跡:安立辺りはかつては白砂青松の地で歌人の詩心を刺激したようで、多くの詩が残る、現在は安立商店街筋の一部に碑があり、空き地が残る。 安立の町屋:安立商店街はかつては住吉街道沿いの往来の人々で賑わった町でいい感じの町屋が残る。
今は往時の賑わいが夢のような落ち着いた町である。
安立商店街:安立は古い町で少し横にそれると古い町屋等が残る、商店街の南端には紀州街道と刻まれた石造の立派な標柱がある。 大和橋:大坂と堺を結ぶこの橋は大和川開削時にお上が架けた公儀橋でした、旧暦6月末日に行われていた住吉大社の大祓(おおはらえ)の祭りでは、この橋を通る人々のかざす松明の明かりが、遠く播磨国の明石からも見ることができたと云われています。

街道は大和橋を渡り、中世に黄金の日々を迎えた 堺 へとむかう。

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