西 国 三 十 三 箇 所 巡 礼


桧 原 越


 江戸期おいては、伊勢参りが隆盛を極めた、その主役は庶民であり伊勢詣でを振り出しに、有名寺社の参拝を行い旅を楽しんだようでありますね。

 ありの熊野詣との言葉は多くの人が集まる様を比喩的に言い表す普遍性を持つ言葉である、平安期に上皇の参詣に始まる熊野詣は貴族階級へと広がった、鎌倉幕府成立後は武士階級へ継続され、中世には大勢の参詣者を数えありの熊野詣との言葉を生んだ。

 江戸期には伊勢詣へと人気は移り、人々はこぞって伊勢神宮へと巡礼をおこなった、旅にでた人々は色々な寺社へと参詣を重ねたようであり、西国三十三箇所の観音詣りも人気があったようである。伊勢を参詣した後、伊勢路を通り新宮→那智大社(青岸渡寺西国三十三箇所一番札所)→本宮→紀伊三井寺→粉河寺→施福寺・・・とのルートはスタンダードなコースであったような印象がする。

 三番粉河寺から4番施福寺までは難所と呼ばれ、粉河寺から紀ノ川に沿って東進・穴伏川を北上・平集落から三国山を目指して山道を登り・尾根道を進み・施福寺へと至る・きつい山岳ルートを歩いたようです。

 今回は、古い道標地蔵が残る この平集落から施福寺へのコースを旅する。
 約12km歩行3時間程度  08/03/09  ルート






笠田駅:朝8寺50分に笠田駅に到着しました。近くには温泉施設もあり、なかなかいい町ですよ。 かつらぎ町コミュニティーバス: かつらぎ町が運営するバス、町内各方面に運行される。このバスで 東谷 行きの8:56分の便に乗り 折登停 で降車する。便数が少なく朝の便に乗りそびれると昼前後までバスが無い。
かつらぎ町ホーム
折登バス停付近:雑誌 堺泉州 7号に紹介された記事ではこの辺りに道標地蔵があり険しい登り道が始まる紹介でありましたが、現在道路工事中のためか、それらしき道はあるにはあるのですが、分断されたような感じで、残念ながら私には、平集落への巡礼道を見つける事が出来ませんでした。仕方が無いので国道をテクテク歩いて平集落へ向かう。 鍋谷峠を眺む:国道を廻って平集落へと登ると 遥かに 鍋谷峠への道が望める。

プロと思われる自転車のロードレーサーに乗られた屈強な男達が、自動車の先導を受けて急坂をかなりの速度で駆け抜けていた。
峠の茶屋: つるし柿で有名な平集落へ入ると 峠の茶屋 の看板を掲げた店がつるし柿や八朔等を販売しています。元気のいいおばちゃんが店を切り盛りしていました。 平集落:福徳寺の脇を東に入ると急な坂道と趣のある家が連なる急な坂道が始まる、この時点ではこの道が巡礼道か否か?解かっていない。
道標:舗装された急な坂道を汗をかきながら登ると道端に古い道標が出てきます。百充一丁と刻まれていました、この手の道標が所々にあるので丁数を眺めていましたら、施福寺に近づくほど数字が大きくなる?おかしいなと思って考えたら、この道標は粉河寺への道標であることに気づきました、まあ道標があるから巡礼道である事は間違いないでしょう。
定福寺:通称「萩の八ツ割堂」。
 萩の大木を八ツ割りにして、本堂の柱に用いたことからこの名がある。その特異な建造物は飛騨の匠の作と伝えられる。本尊の十一面観音は行基の作で、西国三十三所観音霊場の開山にあたり熱弁のあまり、自分自身の寺を札所に定めるのをうっかり忘れたことから、「帳落としの観音」といわれる。 ※かつらぎ町のホームページを転記。
定福寺を過ぎてしばらく急な坂道を登ると、彼方に紀伊の山並みの連なりが見える。この辺りから集落を抜けて舗装された林道へと変る、道の端には一丁ごとに道標があり、粉河寺への丁数と寄進した人の名が刻まれている。試しに一つ読んでみると・・ ○○(判別不明)先祖代々○○(供養か?)  利右エ門 と刻まれていました。 舗装された急な坂道を延々と登ると残雪が現れた、昨週降った雪が残っているようだ、歩いていて体が汗ばんでいるので解からないが、かなり気温が低いようだった。

平集落から三国山までは一気に高度を稼ぐ道で、この道も舗装された林道ではあるが、きつい勾配で汗が噴きだしていた。
合流部:残雪が残る舗装林道を延々と登る事・約一時間半で鍋谷峠から来る道と合流する。 道標地蔵:合流部には道標地蔵が忘れられたように佇んでいました。 左 やまみち 右 まきの尾道 と刻む、この道がかつての巡礼道である証明ですね。
七越峠の道標地蔵:七越峠にはかつて茶屋があり、旅人の喉を潤していたと云う、西行が詠んだ歌碑あり・・立ち昇る 月のあたりに雲消えて ひかり重なる 七越の峰 との詩が刻まれる。

漂白の歌人だったので、この峠を通る時に詠んだ歌でしょうか?春になったら広川寺へ行って西行堂と桜でも見てきましょうか。
まぁ・・ぼちぼち行きなはれ・・とでも云われているような感じでした、かなり大ぶりな地蔵様でここ(七越峠)が紀北や高野山への街道の重要な分岐点であった事が伺える。
訪問日は10日ほど前に積もった雪がわだちの部分がアイスバーン常になっていて、わだちを避けて端の凍っていない雪を探して歩くのに苦労しました。この後いくつかの航空施設を過ぎると地道になり、気持のいいルートになる。 千本杉峠へいたる道:三国山の航空施設を過ぎて、植林された杉・桧の植えられた尾根道の急坂を下ると、道端に三五丁地蔵・があった。

地道であり、施福寺側からかなりのハイカーとすれ違った、尾根伝いの気持のいい道でした。
千本杉峠:気分のいい尾根道をしばらく歩くと千本杉峠へと至る、古い道標と三十丁地蔵・が仲良く並んでいます。

この後施福寺までは気持のいい尾根道を歩く、ときおり樹間から覗く泉州のパノラマ風景を眺めながら高度を下げて行く。
十五丁石地蔵:三十丁地蔵を過ぎて木々の間から時おり見える泉州の景色を楽しむ、近くは和泉の山間部から遠くは六甲の山並みまでが見えて気持のいい林間路です。いい景色を眺めて歩くうちに十五丁地蔵の所まで来ていた。
道は崖際の危険な所もありました、この道の歩行は軽登山程度の装備は必要でしょうね。 岩湧山を望む:10名程度のハイカーとすれ違う、坂道を下りながら ふと 右手を眺めると 岩湧山 の山頂付近が遠くに霞んでいた。
一丁地蔵:この辺りまで来ると、小さな子供連れや、夫婦連れの人達と挨拶する事が多くなりました。施福寺への最後の登り道です。 施福寺へ:いよいよ施福寺へ着きました。道の角に道標があります。
右 ふじ井てら さかい 大坂 。 左こかわてら かうやさん と刻まれていました。
 施福寺へは二回目の訪問となりました、前回は早朝の訪問でしたので、人に出会う事も少なかったのですが、今回は午後1時過ぎで多くの人に会いました。

 白装束の巡礼姿の親子や、写経を納める夫婦等の人でに賑わっていました。その中、白装束の三人の親子連にシャッターを頼まれた、写真を撮った後その親子は丁重にお礼を述べ小堂をくまなく参っていました、何か?願でもかけているのでしょうか・・長い間小堂の前に佇んで願いをとどけているようでした。
 人々の願いを聞いてか?ゆらゆらと灯明が揺れていた、ひっきりなしに参詣者らは訪れ、納経をしたり朱印をもらったり、熱心に経をあげる夫婦がいたりした。.

 納経場の横では朱印をドライヤーで乾かす人がいたり、灯明をあげて熱心に願いをするおばさんがいたり、お守りの類を迷いながら選んでいる若い女性がいたり、いろいろな人達がそれぞれの思いを胸にお参りにきていました。

 あまり広くない境内には、巡礼者を葉始め、参詣者やハイカーが混じりあい一種独特の空気を醸しだしています。
弘法大師 空海が勤操大徳について出家得度した寺 施福寺 は今も老若男女の参詣でごった返していました。

私にとっては現在においても白装束で巡礼する人達が多くはなくとも存在する事が驚きとなった。
人々でごった返す境内の端では紅梅が満開でそのかわいい花弁を日に向けて 精一杯 広げていた。

バスに乗るため階段の多い参道を下っているとしたから多くの参詣者が急な階段を登ってきている。

ふと見ると、遠くに泉州の風景が 霞んで見えた。


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