東海道五十三次の内 関  宿

関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていたところです。関の名もこの鍔鹿関に由来しています。
江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々などでにぎわいました。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
 関宿の範囲は、東西追分の問約ト8キロメートル、25ヘクタールに及び、江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒あまりが残っています。
 関宿では、これら歴史的建造物の保存・修復につとめながら、新しいまちづくりに取り組んでいます。

亀山市のパンフレットより転記。

と言うわけで、お伊勢参りの帰りにチョット立ち寄りのつもりで見学・・がなかなか本気で取り組まれていて見ごたえがありました、人工的に造られた町ではなくて、現在も生活されている生きた町である事に驚きました。

江戸期の街道風景が偲べて、生活感が漂う不思議な空間が広がっていました。江戸期の旅籠が資料館となっていて、内部の見学もできるすばらしい内容であるそうでしたが、時間の関係でゆっくり見学できなかったので、また後日再訪をしたい町となりました。08/7/12


国道一号線沿いにある道の駅 関宿 に車を止めて旧街道へと北へ路地を進む、途中民家の脇に綺麗な花が植えられていた。 路地沿いに進むとちょうど百五銀行の辺りに出合う。
カラー舗装された道が旧東海道となる、この道沿いに見事なまでに家並みが再現されていた。木枯らし紋次郎とかが出てきそうな雰囲気が漂う。
虫籠窓とタイル張りの門扉がなんとも云えない雰囲気を醸していました。 この看板泣かせますね・・お菓子屋さんのようです、もちろん現役でしたよ。一軒隣(右)が関まちなみ資料館です。
関まちなみ資料館内部:座敷から中庭を望む、風が抜けて猛暑のこの日でも涼しい。 関まちなみ資料館内部:二階の虫籠窓から街道の眺め、かつての旅人も何度と無く眺めた風景だろう。
鶴屋:関宿を代表する宿屋で、江戸後期には脇本陣をつとめた。千鳥破風と黄色の漆喰と虫篭窓のバランスが美しい。 江戸末期に芸子の置屋として栄えた家、手摺付きの二階立ては珍しいそうです、三味線の音色とか白粉の香りが漂いそうな雰囲気ですね。
弁柄の色が美しい格子戸。 旅籠だったのでしょうか?二階の窓から髷を結った旅人が辺りを覗いて居そうな雰囲気が漂っていました。
関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも触るなら金津塵か」関宿旅籠玉屋歴史資料館は、市文化財に指定されている江戸時代の貴重な旅籠建築を修復し、旅籠で使われていた道具頬、浮世絵・掛軸などの美術品頬、旅に閑孫する歴史資料などを展示して、江戸持代に栄えた旅寵の姿を再現しました。関宿の歴史的な町並と共に、訪れる皆さんを江戸の宿場の世界へと誘います。
亀山市教育委員会作成パンフレットより転記。
宝珠をかたちどった虫篭窓:漆喰の白と宝珠のデザインが美しい、左官の腕の見せ所(こてさばき)でしょうか?
屋号(玉屋)にちなんだ意匠のようです。
こちらの二階には旅籠の様子が再現されています。
関宿を代表する銘菓関の戸:深川屋の家屋は約200年前の建造であるそうです。 柔ら屋根の付いた看板:パンフレットによると江戸側が漢字表記で京側がひらかな表記とされ、旅人が方向を間違えないような工夫であるそうです。
亀山市のパンフより抜粋
関の戸は寛永初期に創業され現在は十三代目であるそうです。天保元年光格上皇から陸奥大椽の官位を賜り、御室御所に納められていたそうだ。
螺鈿細工が美しい飾り箱に納めて献上されたそうです、螺鈿が反射する虹色がそこはかとなく都がかっているようです。
でこの茶菓子、餡を包んだ餅に阿波和三盆ををまぶした上品で美味しいお菓子です。
家では子供に人気ですぐに無くなってしましました。
江戸時代から続く加治屋さんの看板:いい感じです、主に農具を製造していたそうです。 地蔵院:街道の中ほどを過ぎた辺りに地蔵院がある、創建は古く天平時代と伝わる。
旅人が安全を願い参拝した事でしょう、現在は本堂などが国指定の重要文化財となっている。
街道風景:地蔵院から東を望む、街道がやさしい曲線を描いていました、街道歩きのおじさんと、親子連れが夏のまぶしい太陽を浴びて散策しています。 街道風景:地蔵院から西を望む、遥かに鈴鹿山脈を見る、あの山を越えると京まであと一息である。


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