諭 鶴 羽 古 道(論鶴羽神社裏参拝道)


 諭鶴山神社は開化天皇の治世に開かれたと伝えられる古い神社である。
諭鶴羽山は平安時代以来、熊野信仰の霊場として栄えていたが、室町時代から戦国時代にかけての戦乱で焼失、美作城主の助力を得て再興するが、再度兵火により消失する、その後は再興の願いむなしく衰退した。

 その最盛期には二十八宇山上伽藍が建ち、京都の貴族達にもその名が知れていた。
かつては修験の霊場として栄えた神社へは表参道として黒岩側(海)と裏参道として裏壁(円行寺)側があり、賑わっていたようすで、今でも昔の町石地蔵がある道が残る。 08/9/25 グーグルアースデータ10/5/1


諭鶴山は淡路島の最高峰607.9m手前の山に隠れていますが、赤丸内に山頂近くにある電波塔が見える。 三原川をさかのぼり諭鶴羽ダムに至る。ダムサイトに車を止めて堰堤を対岸へ進む。
ダムサイトから諭鶴羽古道の案内が始まる。かつての参道はダムの開発により寸断されたのです。 ダムサイトからの取り付きは最初の200メーター程は急な登りが続く。
植林層の間を九十九折の道を延々と進む。
九十九折の道の途中には町石地蔵(二十七丁)がある。 坂を上がると尾根道へ至る、大きな道標があって道幅もあり堂々した道であった。
途中 神倉神社がある、熊野の神倉神社を模したものが始まりであったのかも知れませんね?社殿の裏には小さな磐蔵があって横には役行者・不動さん・各種の社、が在って賑やかです。 社の横にはおこもり堂があって、小さな床の間や物置が設えた跡がありました、かつてはここに講の人達が集まって夜遅くまで話した事でしょう、それは楽しい時間であった事でしょう。
表にはそれを懐かしんでか?すこし寂しげな掲示板がありました。
尾根つたいの明るい道を進みます、はるか遠くからチェーンソーの甲高い音が途切れ途切れに聞こえてくる。 尾根つたいの道はどうやら道普請をしていた様子です。多くの人達が諭鶴羽神社へと巡礼していたのでしょうね。
古道の途中には諭鶴羽山に関しての、いろいろな案内板があって見ていていい勉強になる。 山頂近くになると照葉樹林層となる、ほぼ手つかずの状態で、明るい、気持ちのいい道が続く。
先ほどの看板の動物版、サルは見なかったけど、ニホンシカは結構見つけましたよ。 ダムサイトから登り約70分ほどで開けた山頂付近へ至る。
電波中継塔があった、ここから5分ほどで諭鶴羽山山頂です。もう一息。 諭鶴羽山山頂です。標高607.9mにして淡路島最高峰・諭鶴羽神社御旅所・一等三角点、の山頂です。
周りの木が高くてあまり展望はききません。
山頂には展望台が在って下界の景色が楽しめる。
三原から福良にかけての展望が広がる、遠く徳島まで見えるそうですが、この日は曇りであまりよく見えませんでした。
さて ここから諭鶴羽神社を目指します。
山頂から10分ほど下ると諭鶴羽神社へ至る。 鳥居を潜った先には古い燈籠がある。文政二年の銘がある石燈籠でかつてダムサイトにあったものをここへ移した旨の説明板があった。
諭鶴羽山は紀淡海峡へ面して急激に高度を稼いでいる。海から上昇した空気は湿度を増して雨となる。
湿度が高い様子で、参道の階段には美しいコケが生えている。
拝殿横には神社由緒書と諭鶴羽古道のパンフが置いてある、無人の様子で境内は静まり返っていた。
ここには狛犬が4匹いて、(古参)古い方のヤツは小ぶりで愛嬌のある顔でした。
紹介しましょう。吽君です・・お預けくらって機嫌が悪い訳ではないよ・・お仕事ですよ。 境内には親子大杉が立っていました。古い木には南側にびっしりコケが覆っています。
南面する根元にも美しいコケがびっしり、南側からの湿った空気がコケを育てるのでしょうか? 山頂には照葉樹が綺麗な葉を見せてくれました。鹿も多い様子で何か視線を感じてそちらを見ると大概 鹿君と目が合う。
参道のまん中に 鹿君が・・ 拡大で画像荒れていますが、鹿君(鹿坊でしょうか)しばらくこちらを見ていましたがあわてて逃げて行きました。
林の中からは「ピキーピキー」と鹿坊の泣き声が聞こえてきます。

あっ。忘れていました、諭鶴羽 阿 君 です。
愛嬌あるでしょう・・僕の家の近くにいる芝犬君に似ています、その子は僕が近づくと必ず絶対に


 ん  


と吼えます。




諭鶴羽古道、かつてはこの国に豊富に存在した照葉樹森が今に残る明るい道で、野生動物の視線を感じて歩く素敵な巡礼道でした。
ダムサイトから往復3時間から4時間で楽しめる手近な登山道としての人気も高いようです。


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