淡路島 適当 に縦断

淡路島の縦断記、UP忘れていますた、記憶が忘却の彼方へ去っている部分も有りますが、記憶を創造してUPしよう。 07/8/28
記念すべき第一回へちよへちょ旅は淡路島である。淡路は四国への玄関口で「阿波へ至る道」からアワジとの地名が付いた事はほぼ間違いないであろう。
現在は淡路への道は明石大橋を渡る事となる、世界最長のつり橋を渡ると淡路島に至る。
橋を利用しない人は、たこフェリーを使います。
関西では河内屋菊水丸さんが、ラジオコマーシャルをしていて知名度が高いネームですね。


橋を降りて南に向かうと岩屋漁港に至ります。
淡路は一本釣りで生計をたてる漁師が多いそうですね。

この日も 明石大橋をバックに えへんえへんで係船されてますね。
平日の午後、岩屋漁港では、子連れの「おかあちゃん」が岸壁釣りに熱中していた。
子供より「おかん」のほうが夢中で、岸壁の上からクールな視線を投げかけている、おそらく
「早よ 帰ぇろうやーなぁーって・・」とか思っているんでしょうねきっと。

明石海峡の名物は明石蛸と明石鯛となりますが、どちらも速い潮流にもまれてプリプリした食感を良しとされています。

岩屋漁港ではその明石蛸を採る為の蛸壺を漁師達が手入れしています。

明石蛸は市場に出回る事が少なく料亭へ納品される事が多いそうですね、我々「庶民」には高値の華でしょうか?
南下すると淡路夢舞台に行き当たります、建築家の安藤忠雄さんが設計した庭園ですね、その中にリゾートホテルがあります、ウェスティンホテル淡路は「ウェスティンホテル&リゾート」が始めて日本にオープンしたリゾートホテルだそうです。

淡路島は瀬戸内に多い「小さな造船所」がたくさんある、写真は東浦辺りの造船所です。

岩屋漁港を後に淡路の地を南下する、左手の大阪湾越しに大阪の町がちらちらと見えます、綺麗なホテルや小さな造船所を眺めながらゆるゆると進む、東浦から西に向かいちょうど島を横断する形で、大震災でずれた断層が見物できる野島方面へ向かう。
で、峠を越えて西側に出た所で こんなもの に出会ってしまいました。

散髪屋さんのカットモデルでしょうか?見た瞬間はななななんだーーとなりました、正直言って生首かと思いましたよ、これを夜にドライブでもしていてヘッドライトに浮かんだら これは怖いですよ。

最初見つけたときは ナンジャーコラーとなりましたもん。

何かの動物よけなんでしょう・・きっと。でこの辺りは棚田が多くてご覧のような風景が広がっておりまして、ぼけっと眺めるにはいい感じの所であります。
さて、岩屋から東浦辺りを徘徊した後、島の西側に山越えしました。淡路の北部は陸地の幅が狭くて車で15分程走ると反対側の野島にたどり着きます。


野島には震災記念館がありますので見学してきました、これがあの地震の際にずれた断層だそうです、これだけの地面の移動があんな大災害になるんですね?
豊清山平和観音寺:地場出身の某氏が建立されたようです。現在は閉鎖されていますが往時にはかなりの観光客が訪れたようですね、07/8/28

世界平和大観音像:豊清山平和観音寺には、高さ100m(台座20m)の大観音像があり、泉南辺りからでも肉眼で見れます、建立当時は世界最大の像として話題になりました。

泉南辺りから眺めると優雅なお姿が遥か対岸に見て取れるのですが、近ずくと鉄筋コンクリート造築20年・・みたいな雰囲気が漂いますね、閉鎖されてしまった施設と云うのが、寂しさを増加させていました。

なんだか首の辺りの展望窓がギブスみたいですね
生穂辺りの町並み:生穂辺りは旧国道沿いに商店街が広がっています、海沿いの町だけに、旅館の店先には いかり が置いてありましたよ。

この道沿いは昭和の匂いが ぷんぷんする 空間で、トロ箱を積んだ軽トラがトロトロ行きかっていたり、オバサンが立ち話を長々としている町でした。
炬口辺りの海岸:でどんどん南下して洲本市へと向かいます、淡路は由良辺りまでは大阪湾に向かって海が開いているので、この辺りでは波も静かで荒々しさもありません、海士の人でしょうか?潜水して何か獲物を捕っていますね。
モンキーセンター近くの東海岸です、波が荒く怒涛の海岸になっておりました。

いつも波が荒いためか?岸壁上の標識は塩を被ってさびさびですね。

2メータくらいの波がどんどん押しようせてきます。
時々大きな波が来ると岸壁を越えて塩が飛び込んできました。
遠くに大きな貨物船やLPG船が見えるので、どこか?大阪か神戸あたりの臨海地帯に入るんでしょうね。

由良を過ぎると断崖が続き、車もほとんど通過せず何か寂れた雰囲気に成りますね。

沼島:淡路の東南沖4.6kmにある、周囲10kmの孤島。国生み伝説のおのころ島ではないか?との説がある島。

諭鶴羽山に上る車道が付いているので、1k程登ると沼島が綺麗に見えてきました、山頂の神社まで行くと四国から播磨灘・大阪湾・和歌山まで見渡せるパノラマが広がるそうですが、道路工事中で片道通行だったので、やめました。

で、どんどん南下して 阿万 を通過して福良の町へ向かいます。

福良の町並:鳴門大橋が開通するまで福良の町は四国への玄関となっていました。かつては多くの旅人がこの町に泊まり、鳴門へ渡っていったのでしょう。現在は渦潮見物の観光船と零細な造船だけの町になっていますが、古い家並みが残る、いい雰囲気の町になっていますよ。

福良へと下る街道:福良の町は淡路の内陸部から続く街道が、小さな峠のピークを過ぎて20メーターほど標高が下がっています、道は坂となっていてその道沿いに古い家屋が残っています。

町は海岸沿いに発達した風で、狭い路地や小さく曲がったカーブの連続の通路であり、現在の車社会には適応していません、そのおかげか?いい感じの家が沢山残っていて町めぐりには楽しい所ですね。

町はかつて通運や通船で栄えた空気が残照のように残っていて、今は少しおいてきぼりにされた雰囲気がある少し寂しげな町でした。
この町は造船の町でも有って到るところに、クレーンが建っています、まあ造船と漁業の町といえるでしょうね。
対岸には 阿波鳴門 が見えます、ほんの20年程前までここから船に乗らないと四国へは行けませんでした、古の旅人は船に乗り、淡路の島に別れを告げて海を渡ったのでしょうね・・・
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