上町台地の坂道L産湯稲荷神社北側の坂M桃山市民病院南側の坂


  上町台地から古代 猪甘津と呼ばれた百済系の先進文化を伝えた現在の生野区方面への古街道を散歩しました。     
  07/4/28
阪市土木技術協会・大坂都市協会、発行の『大阪市の旧街道と坂道:増補再版』
に記載された上町台地の坂道に紹介された坂を基本に散策しています。


かつてはこの辺りには桃林が広がり味原池がありました。
大正八年に池も埋め立てられここが景勝地であった事も今では夢のような開発ぶりです。
産湯神社は、もともと式内社・比賣許曽神社のお旅所があった場所とされる。
産湯稲荷神社北側の坂:神功皇后の近臣・雷大臣の子であり、大小橋命の産湯を汲んだのがはじまりと伝えられている。 産湯稲荷神社北側の坂:境内の隅にポンプが設けられ、水が利用できるようになっていました。(訪問時、掃除中で味見できませんでした残念)
休日の午前中、今では住宅地とオフィス街となっている小橋町、かつては桃畑が広がり味原池があり、町人の行楽地でもあり春には人々で賑わったであろうこの辺りも、今ではすっかり静かな町になっていました、大通りから一つ通りを上がっただけで喧騒が嘘のように静まる。
公園では70歳位のおじさんが掃除をしていたり、本を読んでいたり、ブランコで孫をあやしているおばあさんがいたり、ゆったりした時間が流れていました。

桃山市民病院南側の坂:細工谷では和同開珎の枝銭が発掘された、大変古くから技能集団が住んでいたのでしょう。 桃山市民病院南側の坂:桃山市民病院は今ではありません、今ではスーパーとマンションが建っていて急速に再開発が進んでいます。この路は古くからあるようで、江戸時代の地図にもそれらしき記載があるようです、猪甘津へ向かう街道であったのでしょうか?
筆が坂:このあたりは昔、古い病院が林立していました、今では立替と周辺の再開発が進み、かつての何処となく寂しげな雰囲気はありません。 筆が坂:赤十字病院も新装され綺麗な建物になっています、高層マンションも多数計画されているようで、後十年もしたら町の様子はすっかり代わるでしょう。時代は変っても 筆ヶ崎とか細工谷などの由緒ある地名は残してもらいたいですね。


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