@御祓筋北端の坂


 阪の地名の起こりに付いては諸説あるようです。
太古には難波の宮があった事は明らかになってきていますが、中世に到るまでは、継続する形での都市などは存在せず、ただ上町台地の北端に掘割(大川)があり、南にいたり四天王寺があり、さらに南下して住吉大社がそして堺、があったようです。

 阪の地名が初見されるのは蓮如上人御文の「生玉之庄内 大坂」がそうであり、都市としての大阪の地名起源との説が有力であるようですが、摂津名所図会には「大江」と云う坂から発生したとの説もあるようです。(大坂市立図書館イメージ情報データベースに摂津名所図会の登録があるようですが、私には昔のくずし文字が読めませんでした。)

 大江の坂は何処にあったのか?については、はっきりとした伝承が無いようで、大阪府全志には御払筋北端の登り口あたりを「往時に於いては西は海に瀕し、北は山城・大和・河内の諸水合わして海に注げるの大江に臨み」・・「この海岸は大江の岸と呼びて南方に及び、付近の坂路に大江の坂の名を伝えたり」とあるそうです。※大阪の古地図や石山合戦配陣図を見ると、現在の松屋町筋辺りが海岸でその辺りの浦を大江之浦とし、海岸を大江之岸と記入されている、現在でも松屋町筋沿いには中大江公園や南大江公園などの地名もある。

 祓筋辺りは摂津国府跡で御祓筋はその中央道路であったのではないか?との説もあり、歴史が下ると熊野詣の人々が、八軒家船着場(渡辺の津)で船を下り渡辺王子でお祓いを受け熊野へむけての出発路となった。『大阪市の旧街道と坂道:増補再版』ではこの御祓筋登り口の坂が大江の坂と呼ばれていたのではないか・とされていました。


 江の坂が大阪の語源であれば面白く、地名起源を求めて、大阪市土木技術協会・大坂都市協会、発行の『大阪市の旧街道と坂道:増補再版』を片手に散策しました。 07/2/17

※参照・・大阪市土木技術協会・大坂都市協会、発行の『大阪市の旧街道と坂道:増補再版』「大阪と堺」三浦周行著、朝尾直弘編 岩波文庫

 大阪市土木技術協会・大坂都市協会、発行の『大阪市の旧街道と坂道:増補再版』
に記載された上町台地の坂道に紹介された坂を基本に散策しています。


天満橋あたり大川(淀川)は最古の人工河川との説が有力で太古東に広がる河内湖の水を海に逃がしたものであろうとされています。
掘割が掘られた頃より上町台地に開発の手が加わったのでしょうね。
八軒家船着場跡:近世には京都から三十石船が下り、このあたりに船着場があり随分栄えたそうです。
熊野詣での出発点でもあります。
船着場跡裏の石垣:船着場跡の裏には立派な石垣が残っていました。何か大きな建物の基礎部分であった様子です。現在上に建っているマンションよりはるかに古いでしょう。 高倉筋(N→S)高倉筋の階段を見ていると一気に勾配が増していて、大川が掘割であったと想像の翼が広がります。こちらを大江の坂とする説もあるそうです。
御祓い筋(N→S)大川側から南方面へ勾配が上がる、ゆったりとして良い感じの坂道です。この辺りが 大江の坂 と呼ばれていたのかも知れませんね。「大阪市の旧街道と坂道」にはこちらの御祓筋に力点が置かれています。 御祓い筋(S→N)こちらは反対方向。大川方面を望む。
もしもこの坂道が大江の坂と呼ばれていたなら、大阪の語源である可能性があるでしょう。
石山本願寺跡親鸞を祖とする真宗は八世後の蓮如の代に至り巨大化する、かつて布教の本拠地としていた京都・山科の地を去り、大坂と地へやってきた。

大坂の呼び名が初見されるのは、蓮如の御文に 生玉庄「大坂」に大坂坊舎を立てたうんぬん・・と文献に登場するそうですが、近年は遺構や瓦が出土しています。

大坂に移ってから連如は六人の棟梁に町作りを命じたといわれる。


※写真は大阪城修道館北西側
大阪城:蓮如が作った寺内町は彼の二世後の証如の時代に大きく発展し1562年には戸数二千軒を越えていました。

その頃には戦国大名も一目置く強大な組織であり、戦国の覇者となりつつあった「織田信長」と本願寺は対立した。戦国最強であり、当時・世界最新鋭の兵器を最大数所有する信長が十年戦っても勝敗を決する事が出来ず、ついに天皇の仲立ちを頼み和解に持ち込んだ。

信長亡き後、覇王となった秀吉が石山本願寺の跡地にこれまた世界最大級であったであろう城郭を築いた。

豊臣家滅亡の後、徳川に徹底的に破壊され作り直された。太閤時代の大阪城は現在よりはるかに広かったそうです。
豊國神社:京都市の豊国神社(とよくにじんじゃ)の別社として創建された。太閤さんは今、出世に霊験あらたかな神として大阪人の参詣を受けています。 太鼓の練習:神社の敷地では天神祭りの練習をしていました。太閤さんを祀る神社で官公さんを祀るお祭りの音色を聴くのはとても風流でいい気持ちでした。




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