上町台地の坂道 23、茶臼山古墳北側の坂〜30、住吉大社北門前の坂


 いよいよ 上町台地の坂道 も最後となりました。この台地上でもっとも古くから開けたであろう天王寺から住吉大社付近を散策します。
天王寺付近は再開発が進み、古い町並はどんどん建替えされて、つい先日も阿倍野に300メーター超級の高層ビルの建設が発表されていましたが、最新の町並みの少し裏には竜神さんが祀られていたり、古い長屋の軒先で子供たちが遊んでいる風景が広がっていました。
新しい物と古い物が混沌として存在する、不思議な魅力のある町を歩きます。      訪問07/6/02


阪市土木技術協会・大坂都市協会、発行の『大阪市の旧街道と坂道:増補再版』
に記載された上町台地の坂道に紹介された坂を基本に散策しています。


一心寺:春の彼岸はすごい人出で賑わって居ます。
老若男女で溢れかえっています。
朝の7時ごろからものすごい人出で付近の道は渋滞をおこすほどの参詣者で賑わっています。
←平素はほとんど人が居ない坂も彼岸の日には大変な賑わいを見せます。
小さな子供などは迷子になっています。
茶臼山古墳北側の坂:この坂道は古く茶臼山古墳と周辺の道として古くからあったらしい、この古墳には「大阪冬の陣」の際に徳川家康が本陣を置いたが、真田幸村の猛攻にあい 危うく との場面もあったとか?
いまは、一心寺と古墳を区切る道となっている。
古墳の周辺には和気清麻呂が開削しかけた伝説が残る河底池があったり、真田幸村戦死の地である安居神社が在ったりする歴史が重層する地域です。
四天王寺西門石鳥居南の坂:四天王寺西門前を南下する道、参考文献によると四天王寺開山以前より存在する道ではないか?との記載もある、熊野古道の一部であり、いにしえより、上町台地を南北に貫くもっとも古い道で在った可能性がある。 総本家釣鐘屋 :天王寺の参道にある、名物「釣鐘まんじゅう1個110円」を購入、結構うまかったっす。
もうこの辺りは再開発が進んで半分は無くなりかけていました。
旭町商店街の坂:角川地名辞典によると、「あさひ通り」とは上町台地崖下に下る谷町の旧村道の通称で在った。との事。
かつては繁華街が賑わっていましたが、新旧j交代の様相で、古い商店街は新しい物に建て替えされています。
三年後にはこの世界に無い風景です。
阿倍野駅周辺の古い町並みは急速に再開発が進んでいます。
かつての飛田新地にいたる街道風情はもうありません、あと三年も経てば昔のよすがを想像できなくなるでしょう。
阿倍野辺りの上町台地:大谷高校辺りは台地の上下で高低差もありこの台地が断層により隆起した地形である事がはっきりと解かります。崖上に立つと眼下に浪速の町が広がり、遠く淡路や須磨の山影が見て取る事ができます。
丸山通西端の坂:かつてこの辺りには円墳がありましたが、古墳の表土が鋳物に適するとの事で、大正12年に英国海軍工廠が大量に購入したが為に消失したと云う。 聖天坂:通称「天下茶屋の聖天さん、天慶2年(939年)光道和尚により開基。、「聖天山」は山号ではなく標高14mの低山の名前で、山頂は正圓寺境内にある。正圓寺にいたる坂道はゆったりと勾配を稼ぐ坂道です。
←相生坂↑: 東京の大田区にも同名の坂があるそうですね、相生坂の坂の上り口には昭和11年製の板碑があった、大阪市内ではこの坂のように曲がりこんで上がる坂は珍しいのではないかと思う。

住宅地の中を曲がりながらぐるりと高度を稼ぐ。ブロック塀に蔦の緑が美しかった。
みどり坂:宅地の中を回り込みながら西に上る坂道、このカーブの向こうに何があるのかな?と興味を駆り立てる坂でした。 さくら坂:こちらも住宅地を登る坂、阿倍野神社はちょうど小山の頂点の位地に鎮座していて、付近の坂道はこの頂点を目指して上っている。
みや坂:阿倍野神社正面参道へ至る坂、坂の上り口には標石があるそうですが、私は見つけきれませんでした、したがってこの坂が みや坂 か否か解かりません。とりあえずUPしますね。 やしろ坂:阿倍野神社に向かい東側から上る参道、まっすぐに上る堂々たる坂道でした。
住吉大社北門前の坂:この場所はかつては住吉神社の境内で在ったもを明治期に道路に作り変えた旨を住吉地誌で読んだ記憶があります。 住吉大社北門前の坂:坂は紀州街道へ向けてゆったりと下ります。
車の右手へ曲がる道は生根神社への参道です。



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