熊野街道散歩(中辺路B) 近露〜熊背川王子

 月日の流れは速くて、2007年ももう残り一ヶ月程度と成りました。温暖化の影響か?今年はなかなか寒くならないなーと思っていたら07/11/20頃から寒くなってきました。前々から見たいと思っている 福定の大銀杏 の見学を第一目的にして、時間があれば田辺市内の散策もしたいなーと、計画をたてずに訪問しました、11/23から11/25まで三連休でもあるし・・今年の熊野古道の歩き修めに行ってきました。   07/11/22 コース







今回も高速バスでの往復、夜の田辺へと到着しました。 翌朝始発の本宮行きのバス6:31発に乗ります、乗客は私一人でした。
近露王子址:7:31 なかへち美術館前へ到着、大変いい天気で、ここ二日程冷え込んでいましたので、近露王子址の社叢の楓も赤く色づいています。 近露バス停の銀杏:近露王子亭前の銀杏が黄色く色付いています。ここは中辺路の中継点でもあり現在も数件の宿が営業されています、この日も数組の古道歩きと思われる人が、私の降りたバスに乗っていかれました。
近露伝馬所址いい雰囲気の建物です、朝が早いのでまだ閉まっていました、前回訪れた時は土産物とかを販売されるお店のようでした。 つづら籠:民家の軒先にかずらで編んだ籠などを並べて、販売されているようです、いい雰囲気の家ですね。
この日は大変冷え込みましたので、路傍の草に霜がおりています。 近野小学校の前を通過します。
しばらく進むと道が杣道へと入っていきました。 杣道を過ぎると、舗装された生活道路へと続きます。この区間(近露〜小広王子)はほとんど舗装路でした。
振るかえると、今まで歩んできた悪四郎山や滝尻方面の山並みが見えます、こんなに歩いてきたんだと、素直に感動します。近露からここ辺りまでは結構な上りで息が上がりました。
比曾原王子址:舗装路を歩いていると突然王子址が現れます、古い記録に残る王子址、明治の末まで立派な社地が残っていたそうです。 看板:王子址を過ぎてこの看板が見えてきました、兎に注意かな?とか考えながら近づくと、過疎化への注意喚起の看板と言うか?標識と言うか?ここ中辺路町にとっては、過疎は深刻な問題なんだろうな、と思いつつ今の日本は国全体が過疎化(超高齢社会)問題に直面しているんだなと、改めて考えさせられました。
路傍の花:民家の庭先には美しい花々が植えられています、何処にいても花のある生活はいいですね。 路傍のゆり:その下の石垣にはゆりが自生してます。
一里塚址:眺めのいい山の中ほどの道を進むと、かつて此処にあった一里塚を示す石碑が建っていました。 野中伝馬所址:
 ここはテンマという屋号で呼ばれていた所で、江戸時代の野中伝馬所の跡である。 この伝馬所は、紀州藩が熊野街道に設けた役所で、官吏の通行の便をはかり、公用の文書や荷物を逓送するのが任務であった。
中辺路では、田辺と本宮の間に、上三栖、芝、高原、近露、野中、伏拝の各所に伝馬所が設置されていた。ここ野中には十一頭の馬が常備され、人足はいつでも出られるように用意されていて、西は近露まで、二十九町(三キロ余)であるが、東は小広・草鞋(わらじ)・岩神・三越(みこし)などの高い峠を越え、三里三十四町(十六キロ弱)もある伏拝との連絡にあたった。 掲示板
継桜王子:南方熊楠が反対運動を起こしてかろうじて守られた杉が残る、神社合祀令により明治44年暮れに外廻り約30本の杉・檜は伐採されました、かろうじて残された9本の樹齢800年ほどの木が強烈な存在感を示していました。   野中の一方杉:元は鬱蒼とした社叢があってその下には清水が湧き出し、ただならぬ聖地であった事が想像できる場所です、南方熊楠の反対運動がなければ今この見事な杉を見ることは出来なかったでしょう。
とがの木茶屋:このアングルは何処のガイドブックを見ても登場する定番ですね。 野中の清水:一方杉の下に道が付いていてそれを下り旧国道を右に曲がると野中の清水にでる、継桜王子社の社叢の下に当り 霊験あらたか な気がしますね。
野中の清水:野中の清水は日本名水百選に選ばれているだけあって、冷たくて口当たりのやわらかい名水でありました、関西近郊からわざわざこの水を汲みにくる人が絶えないそうで、清水の近くには店がありましたよ。 紅葉の古道:清水を飲んで旧国道から30メーターほど上にある古道へ戻ります、紅葉がきれいでした。
秀衡桜:大きな桜の木でした、春には美しい花を咲かせる事でしょう。 晴明伏石:しばらく進むと民家の庭先に安部晴明ゆかりの伏せ石があります、なんでもこのあたりの山崩れを呪文でこの石に封じ込めたそうです。 僕も歩き疲れたので べホイミ の呪文を唱えましたが・・・
中ノ河王子址:此処も古い記録に登場する王子址です、看板から100メーターほど上がります。かつての古道はもう少し尾根に近いルートだったのでしょうか? 古道のススキ:この時期はススキが美しく風になびいていました。
小広王子址:小広王子バス停の後ろに王子址がありましたが、記録によると峠に近い場所にあったそうです。 石畳の残る古道へ:王子址を100メーター程進むと舗装路から古道が分かれます、石畳のひからた道を下ります。
熊瀬川を渡る木橋:一度国道に出た後さらに道は下ります、下りきると熊瀬川に架かる木橋を渡ります、此処辺りから古道の雰囲気が出てきますよ。 石畳を登る:石畳の残る坂道を登る、途中地蔵さんがあります、山中にもかかわらず美しい花が飾られ丁重に祀られていました。
熊背川王子址:ここは草鞋峠一命熊瀬峠の上り口にあたり、かつて小祠の祀られていたところである。鎌倉末期の「熊野縁起」に”熊背川王子”の名が出ていてそれがここであるとの説がある。しかしここの王子名はほかの古書には見えない。
熊瀬川は、谷川の名であると同時に、この付近一帯から小広峠へかけての地名であるから”熊背川王子”は小広王子を指すことも考えられぬことはない。 掲示板

王子址には宝篋印塔の一部や大木の切株などが残っているので、何かが祀られていたんでしょう。
王子址の木:王子址にはご覧のような大きな木が残っていました、この先、難路の草鞋峠、女坂・男坂、連続しますので、休憩できる場所でもあったのかも解かりませんね。

この日はバスの時間が迫っていましたのでここで古道散歩を終了しました。
本宮への難所:バス停に出るため道を歩きながら、この先越えなければならない難路を眺めます。 小広峠バス停:この日は福定の大銀杏を見るために10:07発の紀南病院行きのバスに乗りました。
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栗栖川バス停: 福定の大銀杏を見た後バスに乗って田辺へと向かう、途中、栗栖川にてJRバスへ乗り継ぎ(時間帯による)をした、古道歩きの人たちが利用する時間帯では無かったので地元の子供や年寄り達との乗り合いとなる、料金はここから田辺まで¥1.000-であった。
何気に眺めていると、子供達は学校へクラブにでも通うのか大きなボストンバックを抱えている、年寄りは診察券を片手にバスに乗る、日ごろ大阪に住んでいると学校は近いし、病院も徒歩圏内にある。バスは何処まで乗っても¥200-である、都市と比べると、田舎はのんびり・ゆったりした時間が流れているように考えがちだが、生活者にとっては皆同じ時間が流れている訳だから、便利である事に越した事は無いはずで、過疎の問題は切実な課題であるでしょう。
月が昇る田辺駅:この駅にたつのは何回目でしょうか。
この日は昼過ぎに田辺へバスで帰ってから、田辺市内を散策し温泉に浸かり休日を有意義に楽しむ事が出来ました。
これも熊野権現の御利益でしょうね?

田辺駅前から出る高速バスに乗るため駅にたつと 月が 出ていました。

古道歩きのおばさん達や、学校帰りの学生や、仕事帰りの人々が足早に家路を急いでいます、月がゆっくりと昇って行った。
この日は高速道路の混雑等が在って到着は30分ほど遅れました、難波OCATでは早くもクリスマスモードになっています。
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