熊野街道散歩 中辺路C (4) 那智〜那智大社



新宮〜那智駅を歩き、温泉を楽しんだ翌日 今回の旅の最後の目標である、那智〜那智大社へと出発した、朝645分発の那智山行きの始発バスに乗り込んで那智駅で降りる、本日(08/1/13)は天気も良くていい日和でした。 
ルート
万歩計データ歩行18.87km08/01/13





振分石: ここがかつては中辺路・大辺路・伊勢路、の分岐の場所であったそうです、その場所に万冶元年(1658)に設置された道標がある。 川開の地蔵: 川関の旧道と新道の合流点にいい感じの地蔵がありました、道標地蔵で左右に案内が刻まれていました。何方かが調査でもされたのかチョークの跡がありました。
川関:かつて古道があった路は現在、二車線の綺麗な舗装道路になっています。南紀でも指折りの観光コースだけにひっきりなしに大型バスが行き来する。 川関の庚申塔: 熊野地方では最古もものと考えられる 庚申塔 那智・勝浦町指定の文化財指定を受けている。
庚申の夜には在所の者たちが皆で集まって、おしゃべりしたのでしょうね。
那智天然温泉: 庚申塔を過ぎたカーブの辺りに 那智天然温泉 の看板が、温泉・風呂・銭湯、好きの僕の鼻はなりっぱなしだったのですが、時間がありません、 大雲取越 の時に是非とも浸かりたいですね。 岩鼻温泉: その 那智天然温泉 の看板の20メータほど奥に なんと 源泉がどんどん流れて捨てられているではありませんか!沢水かな?と近づきますと微かな硫黄臭と38度程かと思える温度、温泉ですわ。
後日ネットで調べると 岩鼻温泉 との事、ここに浸かった写真をUPしている剛の者もおられましたよ、ホント!!!
井関の家屋: 温泉を過ぎてバイパスを右折します、旧道に出ていい感じの木造家屋を左折する。 杉並木の路: 右民家を過ぎて奥に進み「曼荼羅の道」に入る、、杉木立の中を進む杣道となる。
尼将軍塚: 峠には尼将軍の供養塔があります。尼将軍とは、北条政子の事で、熊野には二度参詣している。 市野の集落:尼将軍塚を過ぎると、霊園へ出る。ここから市野々の集落が展望できた。
五地蔵: 一の谷の戦で死んだ平敦盛を供養するために伊賀の国主であった平宗清が石屋に名を変えて作ったとされる、平宗清は幼い源頼朝源義経の助命嘆願をした人であるらしい。

後に源頼朝が優遇しようとしたが、固辞して伊賀の国へ帰ったとの事、松尾芭蕉の先祖に当たるとの説もある。
なぜ、この場所に 平敦盛 の供養塔(地蔵)があったのかは、わからなかった。
市野々棚田:市野々の棚田は野面積みの石垣が美しい、石垣作りは集団作業での普請なので、美しい石垣は在所の結束の良さを表すのでしょうね。

また、那智における寺社建造物の普請に市野々の里人が関連したのではないかと想像します。
市野々王子: 那智参詣の人が多く、ここに「市」ができたところから市野々と呼ばれているとの事、訪問時08/1/13は子供神輿の日で、大人たちがそろいのジャンバーを着て祭りの準備に追われていました。
那智参拝を終えて勝浦行きのバスに乗って市野々集落を通過する時にかわいい子供達が神輿を引いているのが見れました。
郷倉:神社境内には「郷倉」と言って昔、 土地の人々が貢米の保管に使用した米倉の石垣が残る、柱を使用していないのが珍しく町指定文化財です。

見事な石組です。
市野々石垣: ここも見事な石垣です、市野々の在所の方々が只者では無い事を感じました。道すがら何気ない家の土台や、小川の堰などが美しい石垣美でもって私の目を楽しませてくれました。 大阪屋旅館跡: 南方熊楠さんがかつてここにあった大阪屋旅館の跡がありました、ここに三年間滞在し那智の植物・粘菌の研究をしていたそうです。
新宮藩関所跡:かつてここに新宮藩の関所があっそうで、当時使用されていた石造の流しが現役で使用されていましたよ。 振ヶ瀬橋:この橋を渡った先からが那智山の聖域じゃ。聖域と俗界を振り分ける橋だから「振ヶ瀬橋」との事。ここから先は肉食、御酒はご法度であったとか。
大門坂

振ヶ瀬橋を渡り大門坂茶屋を過ぎると大門坂の入り口に至る。

大門坂入り口には樹齢800年とも云われる 夫婦杉 があってこの坂を登る物を迎える、世界遺産にふさわしい堂々たる路でした。
大門坂:路の両脇には樹齢500年超級の老杉がそびえる、大門坂前にはバス停もあって手軽に古道巡礼気分を味わえる。

夫婦杉から坂を登りきった熊野交通の土産物店 まで30分位で登れる。
多富気王子址: 和歌山県指定の文化財で建仁元年(1201年)後鳥羽上皇の熊野詣での時、藤原定家 の書いた「御幸記」に、熊野九十九王子の最終の王子社であることが記されているそうだ。
唐斗石: 祈り石でしょうか?謂れについては不明です、建造物の礎石のような感じです。かつてはここで関所があり関銭を11文徴収していたそうです。 那智の大滝:この辺りまで坂を登ると那智の大滝が遠くに見えてきます、
那智の大滝:滝口の注連縄が微かに見てとれます、あとすこしで大門坂を登りきる、かつては坂を登った所に仁王門があり、巡礼者を厳しいまなざしで迎えていたようです。 飛龍神社:那智の滝を祭る飛龍神社、那智大社の摂社ですが、ご神体としては 滝は遥か太古から信仰の対象であったしょうね。
那智の大滝: 冬場は水量が少ないそうなのですが、この日(08/1/13)は大雨の翌日であったので水量が多くて怒涛の瀑布となっていました、滝が発生させる風が手前まで細かな水滴を運び美しい虹が見えました、水量が多くて圧巻ですね。
注連縄:毎年7月9日と12月 27日の2回、古来からの神事にのっとり「御滝注連縄張替行事」が行われているそうですが、那智の滝には注連縄が似合う。 お瀧水:那智の滝の水「お瀧水」を「稲穂両¥100」にて飲むと寿命が伸びるとの事、一口頂戴しましたので100歳まで生きましょうか?
青岸渡寺三重の塔: お約束的アングルで一枚撮った写真。昨日までの雨が嘘のような晴天に恵まれました。 大雲取越起点: 中辺路の最難関区間 大雲取越はここから始まるのです。次はここからスタートしたいな?しかし凄い階段でしたね。
那智の滝・三重の塔・那智山原始林: 
れもお約束アングルですね、滝の右側が南方熊楠さんが守った 那智原始林 です。

はそれますが、古代から先祖が守った、神住む森や社をお金の為に「どがちゃが」にする感覚が明治になり「あった」と云う事実は、裏返せば明治維新が大きな革命であり、かつての価値観を根底からひっくり返した1000年に一度有るか無いかの大きなターニングポイントであった事が理解できる。

新も終わり、「さあこれからは富国強兵でどんどんバリバリ」行こうかーーー。」と言う時期に、南方熊楠さんの「森を守れ」との反対運動はかなり変人扱いを受けた事でしょう、彼が書簡をやり取りしていた 柳田國男 さんはそんな熊楠さんの一途さに「はらはら」していた様子です。

才は生きているうちにはその主張が理解される事が出来なくて、その死後に評価される事がよくありますが、熊楠さんはその典型例でしょうね。「植物の全滅というのは、ちょっとした範囲の変更から、たちまち一斉に起こり、その時いかに慌てるも、容易に回復し得ぬを小生は目の当たりに見て証拠に申すなり」。は熊楠さんの言ですが、当時はそんな意見に耳を傾ける人はほとんど居なったか、居たとしても相当な変人扱いを受けた事でしょう。死後半世紀以上か経過してやっと世間が彼の言葉を理解できる時代になりました。熊楠は「植物」の部分を「人類」と言い換えなければ成らない時代が来る事を、感じていたのではないでしょうか?

つて大文明の舞台となった地「ギリシャ・エジプト・メソポタミヤ・黄河」が現在、砂漠化し廃墟となっている事例は、その原因の一つに森の乱伐にあった事は明らかになってきていますが、地球上のすべての生命は連鎖する共生関係にある事を南方熊楠さんはその鋭敏すぎる感覚で捕らえ、感じて、発言していたのでしょうね。また種の絶滅が非常に早い速度で進行する事も旅行バトの絶滅から知っていたのでしょう。

在の人類はおそらくもう後戻りできない地点まで追い込まれているのかも分かりませんが、彼の主張した事柄から何を汲み取る事が出来るでしょうか?何かを汲み取らければ、共生関係を絶たれ、旅行バトと同じ運命になる気がした 旅となりました。

※ガイア理論
青岸渡寺:秘仏、如意輪観世音を祀る青岸渡寺は、花山法皇が永延2年(988)に御幸され西国33ヶ所観音巡り1番札所として 定めたとされています。
本堂の前に巡礼グッズを授けている店がありまして、色々あるものだなーと眺めているうちに朱印帳を手にしていました。

裏にある宝篋印塔は国指定の重文でいいものです、また、本堂の高さは18mで、大滝の落口の高さと同じであるといわれています。
青岸渡寺では西国33箇所巡礼一番札所ですので、ご朱印帳を授かり御朱印を頂きます、江戸期は伊勢詣でをして、熊野三山を巡り、同時に西国三十三観音参りをする人も多かったようですね。

僕も江戸時代の人に習って西国三十三箇所巡礼を始めましょうか。
那智大社:やっとこ一年八ヶ月かけて熊野三山めぐり敢行できました、感動ひとしおです、「やっと」と言う思いと同時に「通過点だな」との思いが錯綜しました。一つの事が終わると、次の事がしたくなるのが人の常、那智大社に参拝していると 大雲・小雲・を歩きたくなってきました。 樟の木(県天然記念物指定):平重盛が植えたという樟の木(樹齢約800年)の根元が空洞化していて胎内くぐりが出来るようになっている。老若男女は昔から、ささやかな願い「家内安全」をもって楠木の下をくぐる。
那智大社:大社の立つ斜面も見事な野面積で整地されています、ここに来て個人的に感じた事は、「市野々人達は那智大社・青岸渡寺の建造に深く関わっていたのでしょう、その中に石垣を組む技術があり、伝承されていったのではないかと?伝えられた技は棚田や蔵、家の石垣作りに発揮され、あの見事な石垣群が作られた。」と想像しました。 牛王宝印: 別名 おからすさん と云われたそうで、魔除け等に使われたそうです、戦国期の誓詞に使われた事が有名ですね。
この護符の裏に神かけての誓いを書いて起請文としました、熊野の物が一番効果が強いとされたそうです。


 書店で見かけた 「熊野への道 吉田昌生氏著 ISBN4-906108-37-7」本を眺めているうちに 始めた 熊野街道散歩も 一年と8ヶ月の時間をかけてやっと三山を巡る事が出来ました。

 この散歩の間に色々と知ることがあり、熊野三山信仰が多種多様な思想・宗教と重層し、深く、混沌とした魅力に満ち溢れた聖地であることを感じました、三山めぐりを終えると人間 欲が出るもので、次は大雲取越・小雲取越、を歩いて赤木越を越えたくなってきました、これを終えると次は大辺路、小辺路、次は伊勢路となるのでしょう。

 古道歩きをして感じた事は、もうこの世には存在しない人達との会話 とでも言う感覚でした、それは何気に祀られた地蔵一つにも謂れがあって 祀られた人達の人生と祀った方の人達の思いが伝わってくる事や、もう見捨てられた村の棚田の石垣一つにも、それを組み上げた人が、子孫に(子)に末永く達者な生活を願って、石を組むために体を酷使した事が伺えるからでした。

 この感覚は 歩くと言う一定のリズムがそうさせるのか?頭で理解するのでは無くて体が感じるとでも言う不思議な感覚でした、現代人は頭だけで理解する事に慣れすぎていて、私も含めて体が感じる事に素直に聞き耳を立てる事を忘れているのでしょう、我々の先祖がそうであったように体が感じることどもに素直に耳を傾けると、石垣を組んだ人の思いや小判をもって弔いの準備をしてまで巡礼に赴いた男の気持が染み入ってくるのでした。

 近世の終了を江戸期とした場合、その時代が終わって150年ほどしか経過していないにも関わらず、もうその頃の風俗や感覚は失われつつあると云えるでしょう。いにしえの巡礼者と同じように徒歩による旅をすると、今日 当たり前の様に感じ、享受している文明と云う物が、非常にあやふやで脆く、確かな物ではありえない事を感じました。

 人間は携帯電話は無くても生きていけるが、水が無ければすぐに死が襲いかかる事や、日が暮れるまでに目的地に着かなければ狼に襲われてしまうので、自分の体力を正確に計量できなければならない事、その様な生きる事に必要な記憶が、忘却の彼方へ忘れ去られている事に気づく旅ともなりました。



牛王宝印
今回授かった牛王宝印です。
熊野牛王神符:熊野本宮大社の物です、大きな物と小ぶりなものと二つの種類がありました。一番シンプルな感じですね。
熊野牛王(牛玉):熊野速玉大社の物です、熊野権現速玉大社の文字が押されています。
烏牛王(おからすさん):熊野那智大社の物です、袋には おからすさん とも呼ばれていた旨説明がある。
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ゆかし潟温泉めぐり
那智大社・青岸渡寺参拝を終えたのが10:30・・電車の時間は18:16・・時間があるのでゆかし潟の温泉めぐりに行きました、いや・結構な温泉でした。
潮岬行バス:とりあえず三山巡りを終え勝浦へ移動後入浴セットをもって潮岬行きのバスに乗る。お目当ての温泉は二箇所あるがどちらも ゆかし潟 の湖畔にあるので、バス停二河にて下車した。 ゆりの山温泉:二河バス停で降りると ゆりの山温泉の大きな看板が出ています、看板に従い熊野古道(大辺路)を歩くとすぐに ゆりの山温泉 がある。
いやーいい温泉でした・・ごぼごぼと湧き出す源泉に浸かり驚いて・・詳細は別にページをUPします、湯船に浸かりながら眠ってしまいました。
ゆかし潟湖畔の温泉: ゆりの山温泉に後にして二つ目の目的地 きよもん湯に向かう、ゆかし潟の湖畔の路をぽてぽて歩いていると、かつての温泉場の跡らしき廃墟の風呂場と思しき場所にご覧の様に どばどば と源泉が溢れかえっていました。 きよもん湯: ゆかし潟の謎の源泉をあとにして、湖畔を10分ほど歩いて国道を渡ると きよもん湯 があります、ここも源泉かけ流しでいい温泉でしたよ、別ページUPしますね、ひっきり無しにお客さんが訪れる温泉でした。温泉を堪能したあと 湯川温泉 バス停から勝浦へ引き返しました。
勝浦港:電車までには時間があったので勝浦港を眺めに行きました、係留された漁船では、日に焼けた漁師が漁の準備をしていた。 天王寺へ:18:12発特急オーシャンアロー36号で天王寺へ帰阪する、連日の徒歩でくたびれていたので、靴を脱いで足を延ばすと急に睡魔が襲ってきた、気がつくと関空辺りまで来ていた。

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