熊野街道散歩L 津兼王子〜紀伊内原
春三月お雛祭り、熊野街道最大の難所と云われる 鹿ヶ峠越 に到る。 今年は暖冬で例年であればまだまだ肌寒い季節であるが、ぽかぽか陽気のなか花粉と戦いながら散歩を楽しみました、今回はトレッキングサイトで見つけた新兵器「ストック」持参で歩きました、「ストック」はなかなか使いごろが良くて、坂道の下りが楽であり 足への負担も軽減され、峠越えルートには手放せないアイテムとなりました。 コース 07/3/3 和歌山県に入ってからは、 和歌山県街道マップ〜高野めぐり・熊野古道〜 が必見です。 |
熊野街道散歩は 且Rと渓谷社 歩く旅シリーズ 熊野古道を歩くISBN4-635-60033-5 並びに 旧陽書房 熊野古道ガイドブック 熊野への道ISBN4-906108-37-7 及びJR西日本聖なる森熊野古道を歩く、ガイドマップを参考に訪問しました。 |
前回07/2/14 はりきりすぎて、ガイドマップの参考終点地 「湯浅町」を通り越して 津兼王子跡まで歩いたので今回は井関の里まで、はしょって進みます。 |
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井関辺り:津兼王子跡からしばらく歩くと国道から古道が分岐します。 この辺りから古い家並みが目立つようになります。 |
丹賀蔵王大権現:賑やかなお稲荷さんです。井関王子も津兼王子も今ではここに祀られています。 | ||||||||
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徳本上人名号石:天保年間の飢饉餓死者の供養塔をかねた道標との事です。 | 河瀬王子址:名号石をすぎてしばらく進むと河瀬王子跡がある。 磐座がありお社があっただろうと推察される所でした。 |
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地蔵寺:峠のふもとに延命山地蔵時がある平安末〜鎌倉初期と推定される木造の地蔵菩薩を祀る。 伝承によると峠を登る人々の背中を押してくれるので汗をかき 「汗かき地蔵」 と呼ばれるそうです。 |
旅籠 車屋 :井関から地蔵時辺りまではかつて旅籠を営んでいた家が多数ありました。 現在は稼業されていませんが、かつての屋号を掲示板で示しています、ここ車屋は古い家屋が残っていて峠道の取り付き点に当たり、いい雰囲気を醸し出していました。 |
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鹿ヶ瀬峠を望む:行き先を見るとこれから越える鹿ヶ瀬峠を望めます。随分高いなぁー | 東の馬留王子址:かつてはここで馬を下りて徒歩にて峠を目指したそうですが、古い記録には登場しないので、近世になって新設された王子との事です。 | ||||||||
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徳本上人名号石:馬留王子跡の掲示板前に徳本上人名号石がありました。 小ぶりの道標と並んで建っています。 |
歩行者扉@:徳本上人名号石を越えてしばらく進むと急に道が左に折れる、折れたら動物よけの扉があり開いて進む様になっている。 この日は作業でもあるのか?開いたままになっていたので、そのまま道を進んだが、驚いた事に道端の檻の中に猪の親子が入っていた。罠に掛かったものか?飼っているのか?よく解らなかったがかなり興奮して怯えと怒りに満ちた目で、私を睨み付けてくるので恐ろしくもあり足早に立ち去った。 |
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鹿ヶ瀬峠途中から井関方面を望む:急な登りの道を進みます、国道を走る車をわき目に黙々と高度を稼ぐ、不思議と車の音は聞こえない。 歩くと云う、両足を交互させる単調な作業からでしょうか、いろいろな事を思います、これまで歩いた道の事・先ほど見た猪の親子の事・自分の家族の事・亡くなった父親の事・今までの自分の事・これから訪れるであろう老いの事、色んな事を思いながら道を進みます。 気が付くと越えて来た 井関の里 の展望が広がります、一息いれました。 |
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歩行者扉A:二回目の動物よけ柵を開いて進む、やはりこの辺りは猪が多いのか、あちらこちらに動物よけ用の電線が張り巡らされていた。この辺りから近年・造作された石畳がはじまる。 | 痔の地蔵:峠まであと少しの場所に痔の地蔵が祀ってある、うせ物や人探し、痔に霊験があると云う。 地蔵には紀三井寺マデ七里と刻まれている、道しるべと行き倒れの供養を兼ねた地蔵であろうか?出版されているガイドブックによっては、かなりおどろおどろしい話が付いているようでした。 |
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法華の壇 法華経6万部の読経祈願をたてていた天台宗の僧、円善上人が熊野参詣の途次、この峠で客死し、骸骨になっても、なお読経を続けているのを見た壱叡上人が法華壇を築き供養した、そこに後年、庵もつくらたそうです。 この辺りは長丁場の峠道の中間点にあたり、人の気配がしない場所でもある、先ほどの痔の地蔵の物語しかり、法華の壇の物語などは、「苔むした髑髏に赤い舌だけが生きていて、経を読んでいた」 とかなりおどろおどろした不気味な話が多い、何か異界につながる場所でもあるのでしょうか。 法華の壇の周りには石垣が残り、建物群跡があった事が想像できました、随分寂しい山中でもあり、巡礼者にとっては避難小屋的な機能も併せ持っていたかも知れませんね。 |
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鹿ヶ瀬峠:河瀬王子社跡から頂上まで約4km、熊野路の最大の難所の一つと言われています。 大峠頂上には整地の為の石垣が残り、かつてここに茶屋・旅籠があり賑いを見せていた事を偲ばせます。 |
鹿ヶ瀬峠の説明版:峠の広場には往時の茶屋の俯瞰図が掲示されています。 名所図会等に描かれる程、賑わっていたのでしょう、鹿ヶ瀬峠には山城跡や墓石郡もあり時間があれば散策するのもいいかも知れませんね。 |
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小峠への道:古道は鹿ヶ瀬峠を越え九十九折にて下る、小石が多く足元が悪い、訪問日はウォーキングシューズを履いていましたが、トレッキングシューズを履いてくるば良かったと 少し後悔しました。 | 馬頭観音:九十九折の下り道を過ぎると大きな木の根元に馬頭観音が祀られている。人里からはかなり離れているけど 真新しい花が添えられていた。 | ||||||||
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小峠:見通しは悪いのですが、ここからいい雰囲気の石畳が続きます。 | 石畳道:伝によるとこの辺りの石畳は江戸初期頃に設置されたらしい。 しっかりと造作されているので今でも現役です。 |
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タブの大木:古道沿いに大きなタブの木が植わっている、タブは線香の原料にされる木で、わざわざ植樹をされた物らしい、石畳とのタブの大木との対照がよく いい雰囲気の区間でした。 | 小峠を振り返る:石畳道が終わると谷沿いの耕作されていない棚田の間を抜けて行く、振り返ると小峠が見えます。 | ||||||||
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棚田と古道:棚田の間を抜ける古道、蓮華の花が咲いていました。田植えの頃は緑が映えて美しい風景が広がるでしょうね。 | 題目板碑:かつてこの辺りに在ったお堂の物をここに移した旨が掲示板に記載されていた。この季節に美しい 菜の花 が添えれていました。 | ||||||||
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休憩所:土道が終わると原谷の集落に出る。綺麗なトイレと綺麗に舗装された道が付いている、手軽に車で訪問して石畳道を散策するにはいい所です。 湯浅駅を朝出ると、ここには昼前位に通過する按配に成りそうなので、休憩するのにいいポイントでしょう。 |
金魚茶屋跡@:かつてはこの辺りに宿場があり谷川から水を引き金魚を飼って旅人に喜ばれた事から、金魚茶屋 との呼び名が付いたそうです。古い家屋が一軒だけありました。 | ||||||||
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金魚茶屋跡A:川が近くて土地が少し広がって、峠を行き来するのにちょうど良い所ですね。 | 原谷の里@:(日高町)原谷は黒竹の産地として有名です、写真の背の低い小ぶりな竹が黒竹です。 | ||||||||
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原谷の里A:ちょうど出荷時期だったのか?道端に纏められた黒竹が沢山ありました、これを軽自動車に積んで走って随分忙しそうでした。 ここで紀伊内原から湯浅を目指すハイカーと遭う、一服して話をしていると、リヤカーに黒竹を満載した古老が話しかけてきた。 古老の話によると、わしの子供の頃は(古老は多分80有余才)この往来は夜も昼も人が歩いておって、湯浅まで2時間くらいで通っていた。との話を伺う事が出来ました。 |
伝馬所跡:街道沿いに設けられ、公用の文書や荷物を中継する為に、馬や人足が常駐していたそうです。 | ||||||||
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沓掛王子址:急峻な峠越えを前に、わらじをかけ直した事から沓掛の音となったとの事、元々は金魚茶屋付近にあったそうです。 | 法華経塚遺跡の道標:県道176号線との合流部手前にある道標 台座部に 右新道 左旧道 と刻む。 | ||||||||
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爪書地蔵:弘法大師が爪で彫った地蔵で、信心のない物が水を掛けても浮かび上がらないと伝わります。 | 四つ石聖蹟地:後鳥羽院のの休息跡と云わります。 | ||||||||
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西の馬留王子跡:古い記録には登場しない事から近世になってから作られら王子らしいとの事。 | 六地蔵:光明寺前の六地蔵、赤い烏帽子があいらしい。 | ||||||||
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光明寺辺りの古道:光明寺前から古道が分岐する、古い家が残っていた。 この辺りからは新道と合流・分岐の繰り返しとなります。 |
明治期の道標:明治十四年の銘のある道標、道の合流部にありました。 | ||||||||
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内ノ畑王子跡:古い五輪塔の一部分などが集められてあった、槌を作り榊の枝に結びつけ奉納すると徳があると伝えられていたようです。
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内ノ畑辺りの菜の花:今年は暖冬で(07/3/3)南紀では菜の花が満開でした。 |
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内原王子神社:内原に出るとこんもりとした森が見える、内原王子神社が鎮座する鎮守の森でした。 往時の王子社は こうであったか、と想像が広がる神社でした。 |
高家王子跡:内原王子神社の中に高家王子跡の掲示板、古くからの記録に何度も登場する王子。 | ||||||||
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王子橋:国道から分岐する県道の橋は新しく美しい物でした、、脇の原っぱにかつての橋の銘標でしょうか?王子橋と刻まれた欄干が捨て置かれていました。新しい橋に据え置かれるのでしょうか? | 内原の家並み@:かつての国道と思われる道沿いに古い店構えの洋品店が稼業されていました。店のガラスはピカピカに磨かれています。 | ||||||||
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内原の家並みA:洋品店の並びに古い薬屋が営業されています、ここもピカピカにされています。 | 紀伊内原駅:大きな楠木が印象に残る駅舎です、まだ時間がありましたが今日はお雛祭でもあり、家で子供が待っているのでここから13:04発の普通電車で和歌山駅に向かい帰阪します。 |
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