熊野街道散歩H布施屋〜伊太祁曽神社


熊野街道散歩も紀州編を迎えはや二回目、今回は連れ合いが同行し ぽてぽて と散策を楽しみました。
古道は和佐地区から矢田峠を越えみかん畑を下り、木の神を祀る 伊太祁曽 神社へ向かいます。

06/12/05 コース

和歌山県に入ってからは、 和歌山県街道マップ〜高野めぐり・熊野古道〜  が必見です。
熊野街道散歩は 且Rと渓谷社 歩く旅シリーズ 熊野古道を歩くISBN4-635-60033-5 並びに 旧陽書房  熊野古道ガイドブック 熊野への道ISBN4-906108-37-7 を参考に訪問しました。






※この区間は車に注意して歩きましょう。
川端王子址
川端王子の記録は江戸時代以降に登場する。
かつてはこの場所より南方に位置していたとの事。
この辺り(布施屋)の町並みも古い街道の面影を残す。
う都会では珍しく成った木製の農作業小屋が現役で稼動していた。
高積山
県道9号線と古道が交差するやや北側辺りからの景観、此処からは独立峰のように見える。
辻沿いに残る地蔵。
花が添えてあった。
高積山全景
頂上に都麻都比売・大屋都比売・五十猛の三神を祀る。
井ノ口の家並
宮井川に沿って井ノ口の古い家並が続く、ところどころに、雁木と呼ばれる階段をつけた桟橋が残っているので、かつては川舟で荷役運搬を行っていたのだろう。
宮井川沿いに旧家が残っています。
無人販売所がありました。この辺りからみかんやら柿等の無人販売所が増えてきます。
いい趣の旧家が残る。
中筋家
江戸期の大庄屋の遺構を残す家で、国指定の重要文化財ですが、現在は修復作業中でした。
高札に詳しい説明が記載されていた。
この辺りも古道の雰囲気がよく残り青石(緑泥片岩)で設えた石積みが残る。
現在は修復作業中です。
和佐王子址
中筋家の道を南下してバイパスへ合流した辺りに和佐王子址が有った。
駐車場のようなスペースに高札があり説明がなされている、この場所は峠前の少し一服したいような所であり、昔の人も感じる事はほぼ同じなのでしょう、かつてはここで一息入れて古道を進んだ事だろう。

バイパスは交通量が多くていやはや怖かった。








和佐大八墓所
和佐王子址からバイパスを少し進んだ所に和佐大八の墓がある。
貞亨3年(1686年)4月27日、紀州の和佐大八は総矢13053本中、8133本を通し先の勘左衛門の記録を凌駕し通し矢史上不朽の大記録を打ち立てました。
通し矢とは「的に当たった矢」という意味で、京都三十三間堂西側の軒下 を南から北へ射通す競争で、暮六つ(午後6時)から24時間一昼夜に1万本前後の矢を射続ける過酷な競争です。

僕には弓の知識は無いのですが、現在人でこの記録は達成可能なのでしょうか?

当時の紀州の殿様はこの記録に大喜びで、凱旋する大八郎をわざわざ迎えに出向き、300石もの禄を与えのち500石の近習にまで取り立てたそうだ、しかし彼の弟が起した女性問題に端を発し、晩年は幸福ではなかったようです、幽閉中に病が元で失念の内にその生涯の幕が閉じたようです。

大八の墓は彼が生まれ育った故郷の地を眺めるように佇んでいました。彼の魂が有るとしたならば 何を 語ってくれるのでしょうか?
少し寂しい感じの墓所です。

(矢田峠から紀ノ川河口方面を望む。)
大八郎の墓を後に金池を右手に眺めながら道を進む、かつてはこの辺りで銅山が稼業されていたとの事、鉱毒で農民との軋轢も多々有ったらしい、登り勾配のバイパスに沿って南下するとやがて古道に進む看板がある、看板に従い峠道に進む、この辺りの古道は手入れがされていて景観が素晴らしい。
矢田峠
現在は峠の下を道路がトンネルとして通過しています。古道はトンネルに入る直前に左に逸れて坂を上がる。
坂は良く手入れされています。コンクリートが打たれて登りやすくなっている。
矢田峠切り通し

矢田峠南のみかん畑
矢田峠を越えて徳本上人名号石を右に採る道も有るが、みかん畑の道も古道で有ると云う。
矢田峠の切り通しを過ぎてすぐ左手に 徳本上人名号石 がある。
徳本上人は宝暦8年(1758)6月22日、
紀州ノ國日高町志賀に生まれました
若い頃難行・苦行をしてカリスマ的人物であったとの事。
大阪日日新聞の記載によると。
上人の修行はすさまじいの一言に尽きる。山奥に隠れて断食や不眠の行を三年も続け、俗世間との交渉を一切断ち、昼夜山野を駆け巡り、滝に打たれ岩場をよじ登り、徹底的に自分の肉体や精神を痛めつけては、ひたすら念仏を唱える。誇張もあろうがこんな生活を十二年間も重ねたという。こうして何を悟ったかは知らぬが、ようやく合点した彼は諸国行脚に出る。

上人の足跡を物語る石碑(名号碑)は全国各地に千基以上あり、その信仰は今も庶民の間で生き続けています。




峠を過ぎた古道は冬の弱い日光を浴びたみかん畑の小道を ぽてぽて と下って行く。







少し疲れましたので無人販売所みかんを買いました。
¥100−でおいしく頂きました。
紀州のみかんが たわわ に生っている。青い空に橙が映えて美しい。 古道からは遥か南紀の山並が望める。かつての旅人も眺めたことだろう。

平尾の家並
この辺りもいい感じの家並みがつづく。
古い町屋が残る古道
旅籠のような作りです。

古道はくねくねと家並みを進む。
緒王子址
平尾自治会の集会所に王子址の高札がある。
石積みが美しい家並み。
川沿いの古道は未だに未舗装であり、古道の雰囲気を残す
伊太祁曽神社
熊野街道散歩では、訪れた旧分国の一ノ宮に訪問をしています。
今回も紀伊の国編に入りましたので、紀伊の国一ノ宮へ表敬訪問&交通安全祈願に訪れました。現在の和歌山県の一ノ宮は日前宮、 伊太祁曽神社、 丹生都比賣神社、の三社がありますので、もれなく訪問することになるかな?。
木の神様らしく鳥居は木製でした。
この木の うろ を潜ると無病息災で有るとの事。旅の息災を祈願して潜る。

伊太祁曽神社
五十猛命(いたけるのみこと、別名 大屋毘古神)を主祭神とし、左脇宮に妹神の大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、右脇宮に同じく妹神の都麻津比賣命(つまつひめのみこと)を配祀する。いづれもスサノオの子であり、木の神として信仰される神である。
訪れてみて、ただ事ならぬ力を感じる神社でした。
わかやま電鉄貴志川線
1916年に山東軽便鉄道により開業。その後、和歌山電気軌道を経て1961年に南海電気鉄道の貴志川線となった。南海電気鉄道が2005年9月末を以って同線から撤退、2005年6月27日に岡山電気軌道が事業を引き継ぎ、運営会社として和歌山電鐵が設立され、2006年4月1日から同社のもとで運行されることになった。
いちご列車の内装はいちごのイメージで統一されていた。
かつて岡山に住んでいた私にはこんな所で両備グループに出会うとは思いませんでした 感慨無量 です。
伊太祁曽駅にてポストカードを頂きました。
岡山電気軌道(両備グループ)は企画の上手い会社であり接客も抜群に良い会社なので、きっと上手く経営される事でしょう。
帰りはこの電車で和歌山駅まで移動しました。

いちご列車
この日は女性の運転手でした。
貴志川線を探検しよう!


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