熊野街道散歩 B(大鳥神社〜泉井上神社)

大鳥神社をでた熊野街道は和泉の国をゆるゆると南下します。
古道はビルばかりの大阪市内や住宅地の多い堺市内部を抜け出ます。都市化されたとはゆえ、この辺りまで来ると水田や畑が増えて緑が美しい。 06/6/3   コース
熊野街道散歩は 且Rと渓谷社 歩く旅シリーズ 熊野古道を歩くISBN4-635-60033-5 並びに 旧陽書房  熊野古道ガイドブック 熊野への道ISBN4-906108-37-7 を参考に訪問しました。
 



大鳥商店街

堺に入ると熊野街道は小栗街道と呼ばれる事が多い、小栗判官、照手姫の物語の舞台となった街道である。

街道は大鳥にてアーケードとなっています、おそらく 熊野街道の道程中で唯一のアーケードではないかと思う。
アーケードの東側にあたる30号線沿いにNTTがあり、そのあたりに 大鳥居王子 が有ったとの説があるが今では良く解らないようです。

街道はアーケードを抜けてしばらく進むと分岐して右に曲がり取石に向かう。
旧東急車輛前の碑(取石の池)

今では(2006/6/3)東急車輛の工場は和歌山に移りましたが、昔はこの場所で特殊車両を製造していました。
その工場の跡地の前の道に熊野街道の碑が「ぽつり」と建っていました。

ここから1km程南下した東側に万葉集で読まれた有名な池「取石の池」がかつて存在しました。現在は埋め立てられ何も無い。

・・・・・妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし・・・・・


黄金塚古墳
かつて取石の池があった東に黄金塚古墳がある、平縁画文帯神獣鏡が出土したので有名になった。現在06/6/3は立ち入れない。
黄金塚古墳からは景初三年銘の平縁画文帯神獣鏡
が出土しました。

黄金塚古墳の辺りから泉北地域にかけては、須恵器生産の一大拠点として6世紀から8世紀にかけて「登り窯」による生産が行われました。
1300年くらい前には登り窯からもうもうと煙を吐き出す風景が広がっていたのでしょう。
聖神社(一ノ鳥居)
この付近はかつては「信田の森」とよばれる深い森林地帯であった。
このあたりは古の街道の雰囲気が残り、懐古趣味を満足させてくれます。
半分埋まった橋の欄干。

街道の小さく古い橋の欄干は現在のアスファルトにより半分埋まっていました。
篠田王子跡
一ノ鳥居を20m程南下した路地裏(東側)に篠田王子跡が有る。
小栗地蔵
このあたりも古い家が多くあり
街道ウオッチにはいい所です。
葛葉神社
街道からは少し離れますが、安倍清明の葛葉乃子別れ伝説で有名な葛葉神社がある。大きなクスノキの緑とと稲荷社の赤が独特の雰囲気を醸し出す。
参道は誠に緑濃く美しい 楠大明神
樹齢2千年とも伝わる大楠。
和泉市指定天然記念物
平松王子跡
篠田王子跡を過ぎ公園の手前に平松王子跡の碑が建っています。碑だけなので見落としてしまいました。

小栗温泉


近くに小栗温泉が有りました。営業が午後4時からとなっています。
小池地蔵尊

街道沿いには 由緒ありげなお地蔵さんが有ります。
このあたりは古い家並みと新しい高層団地が融合する街です。
信太山駐屯地前の道標

街道はやがて信太山駐屯地前で分岐する。
道の分かれ目には明治時代に設置された道標がある。
右 小栗街道 牛滝 岸和田
   佐野 和歌山

左 池田 槇尾 松尾寺


と彫られています。 

分岐した街道は和泉の国の国府が有った方向に向かう。
和泉国府跡

古には和泉は河内国に含まれていて霊亀二年(716)に大鳥・和泉・日根野、の三郡が河内から分離して和泉監となり天平十二年(740)再び河内国に編入され天平宝字元年(757)に三郡は和泉国となったそうです。

御館山児童遊園内にある碑。
かつてはえらい役人が執務を行っていた場所で、現在は子供達がおおはしゃぎで遊んでいます。
泉井上神社
和泉国府跡の西側に泉井上神社がある、どっしりと落ち着いた社殿で境内は清掃が行き届き美しい。


神功皇后が三韓征討の軍を発するにあたって泉井上神社に先勝を祈願したところ、一晩のうちに霊水が噴き出した。以来この地を和泉と呼ぶようになったという事。

泉井上神社をでた熊野街道は和泉の国をゆるゆると南下する。


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