白山神社のいちょう
本田出雲守が大阪の陣に際して、ここに陣を敷きこの木に登って大阪城の物見をしたと云う いちよう が有りました。 07/11/24 |
かつては白山神社の前を流れる平野川の堤防をなしていた社地には榎・松などと共にいちょうが茂り、社叢をなしていたそうです。 | |
いまでは この いちょう のみが名木として大阪府の天然記念物指定を受けて残っていうるそうです。 いちょうは少し色着いた葉を一杯につけて、秋の空に すっく とたっていました。 |
|
幹廻りは大きくて4-5m程もありましょうか、樹盛も旺盛のようで元気の良い木のようです。 空に大きく枝を延ばして一杯に広がっていました、大阪市内の住宅地の真ん中でありますので、住民の憩いの場所を提供している事でしょう。 |
|
前を流れる平野川はかつては百済川とも呼ばれた。 大和川の付け替えが行われるまでは、水量も豊富で度々氾濫を起こした事でしょうから、昔は大きな堤防が築かれていたのでしょう。 大阪城はこの平野川を外周として縄張りされたと云う。 江戸時代は町の運搬船通路として船が物資を運んだことでしょう、今は都市の下水等を流して静かに佇んでいる。 |
|
場所 | 大阪府大阪市城東区中浜2 |