住吉街道(長居へ至る

住吉大社は古来より人々の信仰厚く栄えてきました。
摂津の町はこの神社を中心に栄えたと云っても良い位(ちとオーバー) 存在感のある神社で有り続けましたので、社殿のある場所から四方八方へ街道が出でいます。
今回はその一つである 住吉街道(長居へ至る)を 散策してみました。 06/6/15

チンデン駅(阪堺電気軌道株式会社

住吉街道は本来は大社東門の前を起点とするのが正当でしょうが、私は チンデン が大好きなので住吉駅をスタートとしました。
大海神社
住吉大社の案内によると、記紀神話では、海宮に赴いたときに出会った父神と娘神の2神(豊玉彦命と豊玉姫命)の伝説が残っています。大海神社は、その舞台となった海宮、つまり龍宮そのものです。社前の井戸は「玉の井」と呼ばれ、海神より授かった潮満珠 (しおみつたま) を沈めたところだと伝えられています。昔は、萩と藤の名所でもありました。

また古来はこの拝殿の前が海で有ったとの説もございます。拝殿は重要文化財でした。
住吉大社北の坂道

住吉大社の北側、大海神社と生根神社の間の路はいい感じの坂です。
ゆるりと曲がりながらゆったりと勾配をかせぎながらゆらゆらと坂を登ります、太古からある坂でしょう。



※ 2007住吉区誌を読むと、この道がかつての大社の社地を明治期に道路に作り変えたとの記載を見つけましたので訂正します。
生根神社

江戸時代は住吉大社の摂社であったのが、明治5年分離したそうです。一説によると住吉大社より古より鎮座
しているとの説も有るそうです。
桧皮葺の拝殿は大阪府の有形文化財に指定を受けています。「奥の天神」といって親しまれています。
1871年(明治4年)
廃藩置県により、摂津の国は大阪府として(島上郡・島下郡・豊島郡・能勢郡・西成郡・東成郡・住吉郡)、の郡部に解れた生根神社の石垣のあたりはちょうど西成郡と東成郡の境界であった旨の板碑が有った。
住吉大社東門

大社を時計回りに廻るとやがて東門に至ります。
東門の前では子供達が遊んでいます、お母さん達はお喋りに夢中でした。
時代は変化しても、こんな光景は何百年も変わっていないんだろうな。
住吉福祉会館

熊野街道と住吉街道の交差点(住之江味噌の池田屋さん)をさらに東へ進むと、大正時代に住吉村の村長を三期 勤められた人で油屋を営まれていた家だったそうです。
構造の古い部分は江戸時代に作られたそうで、ゆったりした屋根が魅力的です。
路地

住吉大社東門からしばらく進んだ街道脇に古来より有った路地がいまだに存在します。
自動車なんてとても通れない狭い路では有りますが、徒歩の人や自転車に乗った人がひっきりなしに通過します。

百年程前まで、 この国の人達はこの様な路で十分満足していたし、この路がもたらすような富で十分幸福で有ったのでしょう。
街道曲線


今では、街道の痕跡を残す物はほとんど有りません。
夏草や兵どもの夢の跡 と同じですね?しかしながら街道跡を舗装した現在のアスファルト路はエルゴノミクスな曲線を描いています。

いろんな事情で真直ぐ行かないのが人の路だろうな。
都会の田んぼ

ここは大阪市住吉区です、大都会です。しかしながら
いろんな事情で田んぼを やりたい 人もいるのです。
この風景は私のような ぼんやり人 にとっては ほっと させてくれます。
植えられた 稲が のんびり行こや と語ってくれます。
曲線を描く街道

住吉区大領〜長居かけては昔の街道の面影を今に残しています。
行き止まりの路地が有ったり、くねくね曲がる道があったり、角でおばちゃんが、しゃべりたおしてる そんな町が今に生きていました。
歴史の散歩道

やがて路は阪和線の西側で長居通りに至る。
物静かな路地から大通りに出ると車の騒音に少し眩暈を覚えた。
大阪市道路公社では 歴史の散歩道 を策定し整備しています。


          歴史の散歩道


いちど訪れてみてください。



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