孝 子 越 街 道 @

泉佐野〜鳥取之荘


 泉佐野で紀州街道から分岐して孝子峠を越えて和歌山へといたる街道、泉南の古い町並みをつないで南下する、現在の旧国道26号線とほぼ重なるルート。
 大阪府も泉南地区まで来ると南国の雰囲気がする、その中を日を浴びて海を眺めながら散策できる快適な道である。泉州の名にふさわしい名水井戸があったり、寺内町の雰囲気を残す尾崎の町辺りをたずねる。  コース 08/1/6






紀州街道分岐:泉佐野鶴原で紀州街道が東に分岐して約2k程で熊野街道と合流する。
その鶴原での分岐部が孝子越街道の起点となる、重要な分岐部であったようで立派な道標が建っていた。
徳本碑:分岐に建つ道標を何気に眺めていましたら、見覚えの有る丸みの有る 間無阿弥陀仏 の書体・・徳本の花押がありましたので道標を兼ねた徳本碑でした。
左 紀州わか山 右大川あわしま 
と刻まれていました。大きくて立派な物ですのでこの分岐が重要で在った事が伺えます。
住吉神社:泉佐野の漁師は遠く五島列島辺りまで漁に出掛けたようです、漁師町には必ず祀られる 住吉さん が当然のように祀られています。 古い赤ポスト:元町辺りには古い赤ポストが現役で使用されていました。この辺りは古い町並みが残っていて、路地が多くて都市迷宮が広がっていました。かくれんぼをしていた頃のような懐かしい迷子の感覚とでも申しましょうか?そのような物が蘇りますよ。
大将軍湯:ここは銭湯好きなら一度は訪れたい名銭湯でしょうね、戦前(イラン・イラク戦争では無いですよ。大東亜戦争・第二次世界大戦ですよ)から営業されている銭湯のようです。
道に迷ってラビリンスのような道を歩いていると見つけました、僕は銭湯ファンで泉佐野にここがある事は知っていましたが、今回はわざわざ尋ねた訳では無いのですが、引き寄せられたのでしょうね。現在08/1/04jは月・水・金・土の午後4時から9時までの営業の旨 張り紙がしてありました。外観だけの感想ですが、いや凄いの一言に尽きますね・・銭湯ファンなら浸からないと一生後悔しますので、後日絶対に尋ねる事として、後ろ髪を引かれて後にしました。
古い看板:古い醤油商の看板がありました、読み方が左送りなので戦前の物かも分かりませんね。

しかしこの辺りはこの看板の存在が不思議な感じなしない程家並みが古さびていてすごくいい感じの通りが幾筋も交差する町でした。
泉州は織物の町です、これは街道沿いに置かれた織布の巻き取用のボビンでしょうか?あちらこちらに積まれています。 田尻町:泉佐野を過ぎて田尻町へいたる、田原酒造(有) 泉南郡田尻町嘉祥寺904 には杉玉が吊られていました。
この辺りまで来ると和泉山脈の山々がかなり近づいてきます、この先南下すると楔の先端に向かうような感じで山が迫ってきます。 根来街道との分岐: 樽井に入るとずいぶんと地方都市の感じが漂ってきました、駅近くからは 根来寺 へと向かう 根来街道 が分岐しています。
.浪速酒造:寛政年間より蔵内の井戸水を用い、手造りでていねいに醸す地酒メーカーです、家屋は登録文化財『指定されています。全国新酒鑑評会金賞受賞蔵。 ホーム 西本願寺尾崎別院:慶長三年 時の領主がお堂を建立し本願寺に寄進した頃より 尾崎御坊 と呼ばれたとの事、寺を中心とした町が形成された事が伺え寺内町の雰囲気がある。
紀州街道から一つ海側の筋、古い家並みが残るいい感じの街道風景が広がる。 防波堤の切れ間から関空が見えた、遠目に六甲の山並みが見えて大阪湾が一望できる。
清水のお大師:海沿いの道を進むと小さなお堂に行き当たりました、清水のお大師様と呼ばれているそうです、和泉山脈に降った雨水がここで伏流水となって湧きだしているそうです。 大師の水:で、ひしゃくがありましたので、味見をさせていただきました、口当たりが良くてまろやかな大変においしい水でした、たいへんな名水ですね。
おいしい水を飲んで、街道を南下する、所どころに残る古い町屋を眺めながら駅へと向かう。 鳥取ノ荘駅:荘園の名が現在に残り地名起源となったらしい、午後の駅には誰もいなくて各駅停車の電車に乗り込み帰阪した。

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