岡山県のほぼ中央部に久世町と云う町がある。 大昔は川船の集積地として栄えた町である、富の集中があったのか?大変古い木造校舎が残っていた。 訪ねて見ると、廊下が ぎしぎし 言って、鼻の奥が(つん)と来るような懐かしさが蘇った。 |
この校舎は明治40年7月20日に落成された建物とのこと。 学校としては、明治7年から存在していた。 |
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すごく古い柱時計と、鐘が一つ。 始業の合図として使用されたものだろう。 再編集2007/11/7 長男子供やン。ちびやん。 |
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廊下はすごく長い、どこまで続くのだろうと?ふと思うほど長い。 | |
大変古い柱時計がありました、多くの子供たちを見送ってきた事でしょう。 | |
講堂、あまり広くなくて小さな講壇があるだけ。 カイゼル髭の校長が(教育勅語)なんかを読み出しそうな、感じがする。 |
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明治期の日本は教育に力を入れた。 この時代の投下努力が戦後の高度成長を支える原資になった事でしょう。 この国は江戸期より教育には熱心で子女を寺子屋へと通わせた、読み書き算盤が出来ないと、船乗りに成るなら 船頭 にはなれず。商家に行くなら 番頭 にはなれず。と言われ、親は食べるものも食べずに寺子屋へ行かしたそうです。 明治期の義務教育への情熱は江戸期の状況がそのベースにあった事であろう。 |