一等三角点のある日本一低い山への登山「蘇鉄山登山記」

堺の大浜公園内にある蘇鉄山は、幕末には黒船来航に備えてお台場が築かれたところです。
明治・大正・昭和初期には関西有数の海浜リゾート地として海水浴などで賑わいました。一等三角点は東南300mにあった御蔭山 (天保年間に旧堺港と水路浚渫により造山) の頂上に明治十八年に設定されましたが、御蔭山平削などで、昭和十四年に大浜公園内の蘇鉄山に移設され、現在も元気で頑張っています。06/1/13 
※堺 神明神社にて配布の登山認定書より抜粋


蘇鉄山は堺市の大浜公園内にそびえる独立峰である。公園入り口にあるレンガアーチから登坂ルートを探るのがよかろう。
明治期から昭和初期にかけては大浜公園は海洋レジャーランドで随分栄えたようです。
公園内にはかつてのよすがを伝える掲示板がありました。
大浜プールの裏辺りに登山口が在る、気を引き締めてかからねばならない。
登山路はなかなかにハードである、木の根などが行く手をさえぎる、やはり山岳ガイドか強力を雇うべきだったか?
山頂付近のピークには、登攀困難ながれ場が存在した、ここは危険を避けて安全パイで行こう。よし。
命がけの登攀の結果やっと蘇鉄山山頂に立つことが出来た、遥か彼方に金剛・葛城の山々が霞む。
ベースキャンプにいる隊長に山頂制圧の無線連絡を入れた、涙で目が霞んだ・・・
登頂を成功させた私の前に、一等三角点標石が・・かつて剣岳へ近代登山装備にて初登頂をなした測量技師・柴崎芳太郎が剣岳の山頂で行者が残した仏具を発見して瞠目した小説があったが、私も同種の驚きを覚えた・・・
日本でも屈指の難関度の山だけに、山岳会がある。この難攻不落とも云いえる 山 を征服した猛者だけが「蘇鉄山」登山認定書を手に出来る。
南海電鉄堺駅南口にある神明神社にて登山認定書等の発行など「蘇鉄山」に関する事に尽力されているようです。
0722−38−6955
いやはや 辛い登山でした・・・やはり計画に3年、実地調査に2年の歳月を継ぎやした事が勝因ですかな・・・



大浜公園散歩


大浜公園:堺の大浜公園は、幕末には黒船来航に備えてお台場が築かれたところです。高いところから見ると海に向かって突出した地形が確認できます
堺旧港:中世の頃の堺港は戎島の東側に在ったようですが、1734年に開削された大和川が運ぶ砂によって使えなくなりました。1792年に戎島の西側に新しい港を作ったのが堺旧港の始まりだそうです。現在は龍女神像が港を見つめています。
龍女神像
大浜灯台明治10年10月15日に完成、緑色の光が24km先まで照らしたそうです。
建設費用は町民がお金を出しあったそうで、約90年間現役で稼動していました。現在07/1/13は工事中でした。かつてはこの辺りで潮干狩りを楽しんでいたようですね。
かつての画像
江戸時代の台場地図海に突き出した砲台陣地ですね。
台場跡遺構:公園の西側には石垣が残っています。
台場跡遺構公園北側には防波堤石垣が良く残っています。
維新後は明治期から昭和初期にかけては大浜公園は海洋レジャーランドで随分栄えたようです。
公園内にはかつてのよすがを伝える掲示板がありました。
猿山公園内には猿山がありました。冬の寒い日、サル達は団子になって暖を取っていました。そういえば日光さる軍団は何処に言ったのでしょうか?
堺事件発生地幕末に発生した堺事件の発端となった場所、堺市が碑を立てている大浜公園より200m程北東側
堺魚市場堺の漁業の歴史は古く奈良春日社に供献する「春日社供菜人」として鎌倉時代には知られていたようです、現在もお魚屋さんが元気に商売しています。
中世の堺港フランシスコ ザビエルが堺に来た頃は現在のザビエル公園西側辺りが港だったようです。大和川開削後は川が運ぶ砂で港が浅くなり、港は段々と西に移動したようです。
参考文献:むかしの堺




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