加賀屋新田会所跡

延享2年(1745年)、加賀屋甚兵衛によって干拓された。この埋立ては、その後数回にわけて北へ北へと拡張された。これらの民間資力による開拓事業は、幕府の崩壊で終るが、その間の開拓総面積は、今日の大阪市域のほぼ1/3にもあたるものである。なお当地の会所建築は宝暦4年(1754年)のことである。小堀遠州流の築山林泉式庭園や数寄屋風の建物が一部現存し、「愉園」と名づけられ大阪名園の一つになっている。
07/8/22
平成13年12月11日、大阪市有形文化財・史跡に指定された


正面玄関口:夏の太陽を受けて草いきれがむっとしました。 つくばい:層塔塔身四方仏で名品であるそうです。
明霞亭跡:枯れた松の根元を利用して階段を設えたそうです。 夏の青い空に白の漆喰が美しいコントラストを醸す。
土蔵は防火用として炎の進入を防ぐ工夫がなされている。 土蔵の中には大ぶりな階段箪笥がありました。
鳳鳴亭:いい眺めです、かつては井路と呼ばれる水路が張り巡らされ、十三間堀川を経て道頓堀まで芝居見物に訪れたたそうです。



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